けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 卵が先か鶏が先か?って笑ってばかりはいられない。(追記あり)

他のブログのコメント欄に書こうとしたら長くなってしまったので、ここに置いておくことにしよう。

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こんにちは。
アルツハイマーのくだりのロジック。とても勉強になりました。
さて、私は人為と災害(気候)についての相関および因果関係が気になっています。たとえば次の二つの出来事です。

けろやん。メモ:慶長16年の遣欧使節団:記録することでよみがえる記憶もある。
第18回 二・二六事件と鹿島

この二つは、それぞれの情況として人為と災害(気候)が大きな軸となっていると思います。しかし、人為と気候の相関・因果の軽重(あるいは因果律の大小)のさじ加減で大きく様相が異なってしまう怖さがあります。つぎのようなご指摘。

2.関連は有りそうだけど偶然である
3.相関が有りそうだけど、厳密に見るとあんまりない
(略)
2.や3.を因果関係のようにこじつけるのはよくみかけます。
(改変引用者)

これが前述の怖さに通じていると思います。すなわち不用意に因果律に持ち込もうとする恣意的志向性。変換したらでてきた「嗜好性」と言った方が良いでしょうか?ある意味、誤変換も因果律につながりますが。
怖がってばかりではいけませんね。素敵な因果関係もありますので紹介しましょう。ずいぶん前に読んだ本にでてきました。
神社と鎮守の森。普通に考えると鎮守の森が神社を守っているのであるになります。しかし、言葉としてはおかしいですが、神社が(鎮守の)森を守っているのであるという見方もあります。
その心。都市化の過程等で森林が伐採されていく中で、さすがに神域たる神社には手を付けない。すなわち神社が人の手から森を守っているのだと。
ではでは。
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追記(2015年1月18日)
江戸からの「奇跡の森」、開発で伐採 なぜ守れなかった