けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 橋場日月「地形で読み解く「真田三代」最強の秘密」(朝日新書)

読んだ。

地形で読み解く 「真田三代」最強の秘密 (朝日新書)

地形で読み解く 「真田三代」最強の秘密 (朝日新書)

真田物。著者について背表紙より引用。

1962年大阪府生まれ。関西大学卒業。豊富な資料から新しい歴史の切り口に挑む歴史研究家、歴史作家。

最強の秘密!って大上段から振りかぶってくるんだけど、とりわけ「表裏比興」で知られる真田昌幸についてはクールな筆の運び。
印象に残った箇所の引用。

P.133 2月14日夜10時頃、浅間山が噴火したのだ。翌朝まで続いた噴火は相当大きなものだったとみえ、安土城天主や奈良興福寺からも確認でき、九州からも東方の空が明るく赤く染まるのが遠望できたほどである。

なんのこっちゃい?これNHK大河ドラマ真田丸」のまさしく大河が始まる第一話冒頭の話。
天正10年、武田勝頼が甲斐新府から落ち延びるにあたって、一度は真田昌幸の進言に従い上野岩櫃城に向かう判断を下すも、それを翻して小山田信茂の岩殿城に向かったのはなぜか?
通説では(「真田丸」も含めて)昌幸が外様であることを懸念して、という理由付けが行われる。しかし著者はそんな懸念はなくってば!勝頼カッちゃんと昌幸マッちゃんは幼なじみみたいなもんだってば!ということで天災が理由だってば!とのこと。
調べてみた。

2ちゃんねる-天正10年の武田攻めを語るスレ 5
織田厨くんは「だがは天下の東大様による科学的データまで否定するのかな? 」とも言ってましたのですが、上記の噴火を証明する科学的データをまだ教えてもらっていませんが、織田厨くんはどこのどのデータをみたのかね?

なんか荒れてる(´・ω・`)・・・
気を取り直して、もういちど。

mixiコミュニティ-浅間山の噴火と武田勝頼
『蓮成院記録』
一十四日夜蒼天北方分赤色也、タトヘハ如朱色、南北ヘ筋多シ、上天過半也、希代之事也、人々不思儀之由申合畢(天正十年二月十四日条
平山優氏は「同時代史料からみた武田勝頼の評価」(『新府城歴史学』)の中で勝頼の滅亡に浅間山の噴火が影響していると論じている。
・・・・甲斐・信濃の異変と、東国の政変を告げる浅間山の噴火は、まさに武田勝頼没落と信長の勝利を告げる天変地異と受け止められた。当時の人々に、浅間山噴火は東国異変の象徴との認識が浸透していたとしたら、武田氏の家臣たちは、もはや天に見放された勝頼を支えようとはしなかったであろう。そして、小笠原信嶺が謀叛を起こし、信濃の崩壊が始まったのは、浅間山噴火が記録された、まさに二月十四日当日のことであった。
(太字化は引用者)

ちょっと考えなくちゃならない時系列だけど、ふむふむだ。