けろやん。メモ このページをアンテナに追加

2007年03月24日(土)

[] 新書について1:ブーム、ブーム、ブーム♪

関川夏央白樺たちの大正」の中に、大正期は本を読む大衆が芽吹いた時代であった、というような一節があった。そして、多数の読者を得た作家たち、例えば昭和初期の円本の執筆者の印税収入は、現在の貨幣価値に換算して1億円にも上ったという。

そこは、凸が凹に嵌った素晴らしい世界であったのかもしれない。しかし、群がる人間というのはいつの世でも存在しており、「作家バブル」というものも発生した。書き手の余剰である。需要と供給のバランスが崩れたか、どうかは知らない。

さて平成の今、新書がブームであるとか、バブルであるとか言われている。しかし、そこで、嘆いてはいけない。流行の楽観主義である。読者である私たちにとって、選択肢が膨大にあるということだ。カスとクズの間に光るブツがあったりする。

それをマウスイヤーの流通速度に遅れることなく、セッセと見つければ良いのである。現在の情報は、ストックではなくフローである*1と割り切ってしまうのだ。

だがしかし、最近、創刊されたアスキー新書http://shinsho.ascii.co.jp/は、どうなのだろうか?「グーグル最新検索術」という一冊を購入したのだが、まず紙がボロイ。蛍光ペンでマーカーすると裏に透けて見えてしまう。まあ、その辺は、「フローの情報」だから、我慢しようよ、ということで良い。しかし、まえがきの誤植はなんとかならないか?

グーグルが提供する検索サービスを入り口に、いやま仕事や生活に欠かせなくなったグーグルの活用術を満載しました。

書き捨てブログの話ではない。バブル。現場が、追いついていない状況にあるのでは?と思ってしまった。

冒頭の本の一節に、大正期バブルのエピソードが掲げられている。一例として挙げるならば、衣料のボタンを糊付けで済ませて輸出して、大儲けする会社もあったらしい。そして、海外における日本製品への不審の念は、所謂「高度経済成長期」まで払拭されなかったという。

<参考>

1927年革命──円本の登場と岩波文庫の創刊

*1:スポンタ氏のコメントから想起した言葉。

2006年11月28日(火)

[][] 大衆化する社会

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20061126/1164498993

finalvent氏が、日経春秋を元ネタにバブル考察を書かれている。

ホリエモンとかだとどうなんだろう。バブルというのはそれなりに各人生に傷を残しているので、あのあたりからもう傷はないのか。

バブルの一番重要なことは実は庶民にはあまり影響がなかったということ。もちろん、まったく影響がないわけではないあたりがいかにも庶民的だったり、不動産関係で馬鹿なカネをもらって破滅したりとかはある。

もし、彼がバブルを体感していたならば、ライブドア列車は転覆脱線することもなかったと思う。また、堀江の側近、例えば宮内は、どっぷりとバブル体感世代という括りに入る。しかし、ライブドア事件関連本を読む限りにおいては、彼らは、finalvent氏言うところの「庶民」として、バブルを外から見ていたことが推察される。すなわち、体感していなかったと。

さて、上記エントリに続く形で、極東ブログでもバブルについての断章が更新されている。

■バブルという時代を思い出す

最後の一節、

バブルが終わってしばらくしてオウム事件の時代になった。

finalvent氏は触れていないが、阪神淡路震災も同時期である。しかし、人為的に引き起こされたオウム事件。考えてみれば、彼らは、バブルの渦中において、世間から隔絶された環境下で生活していたのだなあ。*1

上記、極東ブログにおけるコメント欄が興味深い。

最近局所的に流行ってるプチバブルとかは、基本的に「昔のバブルの大衆化」でしょ。

上記は、ハナ毛というふざけた名前の人物が、常軌を逸して連投したコメントの一つである。しかし、変な名前、行為を捨象して接してみると、「バブルの大衆化」という言葉には、心を打たれた。そして、限定付きではあるが賛成する。*2

80年代後半からのバブルが、finalvent氏言うところ「庶民にはあまり影響がなかった」という”隔絶されたバブル”あるのに対して、現在のバブル*3は、人々の身近に転がっていることが怖ろしく感じる。

と、真面目に書いたのは、先ごろ、怪異なる状況を目撃したからである。それについては、いずれ。

追記、17:34

怪異なる状況というのは、ネットでのことではなく、現実の世界において、私が目撃した状況のことです。誤解があるやもしれぬので、書いておこう。さて、魚出汁も取れたし、美味しいラーメンを作って、食べよう。

*1:深い意図はない。個人的な感慨である。

*2:限定的と述べたのは、「格差社会」の存在をどう捉えればよいのかわからないからである。

*3:正確にはバブル・マインドと書くべきかな。

2006年10月27日(金)

[][] バブル本バブル

昼休み、天気が良いので公園に出かけて、ボンヤリと音楽を聴きながら、本を読んだりするのが最近の習慣。秋晴れが、気持ちよいね。

昨日は、通勤途中に文庫本を読み終えてしまったので、会社近くの本屋で物色して、「検証バブル〜犯意なき過ち」(日経ビジネス文庫)を購入して、つらつらと読んだ。

検証バブル―犯意なき過ち

検証バブル―犯意なき過ち

(↑は単行本だから、気を付けて)

本書は、1999年12月から2000年7月まで日本経済新聞に連載した「検証バブル 犯意なき過ち」を大幅に加筆・修正したものである。

であり、それが、2000年9月に単行本化されたもので、やや古い。単行本は、刊行時に読んだのだけど、その時は、気が付かなかった巻末の年表が秀逸。ここを読むだけでも価値ある本だと思う。

”バブル”の大局的考察については、ガルブレイス「バブルの物語」とマッケイ「狂気とバブル」を教科書として、前掲書も含めて、各種ある実録・回顧本を副読本にすると勉強になる。2000年頃はそれこそ、現在のweb2.0本と同じくらいバブル検証、回顧本が店頭に溢れていたものだ。ここで指すバブルとは、80年代後半から90年代初頭の所謂「バブル経済」のこと。

また、上記バブル経済は、小説を副読本にするのも面白い。それこそ、玉石混交、百花繚乱ではあるが。これについては、また今度。

2006年10月12日(木)

[][] 大槻ケンヂ「リンダリンダラバーソール」(新潮文庫)

通勤本として流し読むつもりが、色々と考えさせられる内容だった。一言で表すならば、バンド・ブーム盛衰録*1。しかし、その時代(バブル期である)の空気、狂乱、そして群がるビジネスを考える上で有意義な本。

バブル経済という「アノマリー・アカウント」で処理されていた経済現象。今でこそ、行動経済学分析という体系化しつつある*2分析手法でアプローチすることが多いが、以前は、社会学的に断面を切り取り、いわば分析が「消費」されてきた。

本書は、「消費」されてきた断面をドキュメントとして記した本ということで、価値ある書き物だと思う。といっても、あくまで、「バンド・ブーム」に焦点を絞ったバブル風俗本であり、厚さ1センチに満たない本書に、バブルの全てが濃縮されているわけはない。

リンダリンダラバーソール (新潮文庫)

リンダリンダラバーソール (新潮文庫)

ここから、チラチラと「ブーム」というものを考えて、ドッグイヤーに流されつつあるweb2.0とやらに繋がることを書こうと、書ければいいな、と思っています。

*1:80年代後半から90年代前半。衰退期(90年代前半)、宗教に吸い込まれていったバンドマンもたくさんいたようだ。これも時代の空気かね。

*2:体系化できるものなのかについては疑問があるなあ。