けろやん。メモ このページをアンテナに追加

2015年05月03日(日)

[] 散るろぐにモノ申す

はてなトップ。

散るろぐーインターネットがつまらなくなった理由

私の結論ありきのエントリです。でも納得したのは本当。

僕たちは、いつの頃からか、ネットスラングを使わなくなった。日常生活では使わない、いわゆるネット民だけに通じる共通言語。

うーん、これはどうかな。ネット難民でも「ハゲドウ」は使わないけど「腐女子」とか使っていると思う。さておき腐女子っで変換候補語に登録しているのか不思議。「基地外」も「キチガイ」に代わって使われて思われる

インターネットの描いてみせた理想って、とても小さい現実だった。イノベーションなんかじゃなく、ただの持ち運べる小型テレビ。

これ、賛否両要あると思うけど、私に生活ではそうだな。ちなみにひきこもりではありません。いのべーしょんには笑った。

ぼこぼこにされた(ことのは)イノベーション。検索してもなかなか出てこないイノベーション。

だけど最近は、ショーに参加するにはオーナーの前で全裸にならなきゃいけなくなった。そしてPVバイブレーターを埋め込まれるんだ。この装置はキーボードを叩き続けると振動する仕組みになっている。

ここはわからない。ショーに参加するといのは悪いことではないけど、怖いものだから頑張って。

だけど最近は、ショーに参加するにはオーナーの前で全裸にならなきゃいけなくなった。そしてPVバイブレーターを埋め込まれるんだ。この装置はキーボードを叩き続けると振動する仕組みになっている。

PVは書く人にとttたいせつなことだよね。私もアフィリエイトカウンタを付けました・・・。でもそれはどうかな?ブログなんて金にならないし(たぶん)自分の書きたいことを書くこと(メモすること)が定説だと思うよう。

散るろぐさんは追いかけしているブログです。どうかショーに乗ったり裸になったりしないでください。

2009年05月10日(日)

[] おれの名を言ってみろ!by.ジャギ北斗の拳

チョット・ビックリしたエントリ

ぼくの名前

ふむふむ。ブログ世界を見渡していると、感覚的にだけれども、「実名ブログ」が広がりつつあると思いますね。でも、名の知られた芸能人なんかがブログに参入してきた、というのはチョット昔の話。

現在は、現実世界で書き物をしている人が、実名を晒してエントリを書くことで自らの解題を行っているような感じがします。で、現実世界の書き物さんは、大学の教員なんかも多くて、彼らは実名原理主義者に生育していくみたいな。あくまでも私の狭いブログ・サーフィンで感じることだけどね。

さて、冒頭のエントリ、引用してみましょう。

(略)それは「匿名」の難しさでした。名前を伏せたままにしておくと、書きたくても書けないこと、やりたくてもやれないことが、色々と出てきたのです。

まずご注意。この部分だけ読むと、話が分かり難いと思いますので、興味のある方は、冒頭のリンク先でエントリを読んで下さい。

さて本題に戻って、正直、引用部分、私にはまったく分かりませんでした。いや、馬鹿にしたり、煽ったりしているわけではないです。

逆に「匿名ならば、コレコレをアレコレと書くことができるよ!」や「匿名だからヤレヤレできるね!」なら分かるのですが。

もしかするとブログが名刺代わりになるということなのかな?名刺に私の実名(A)と「けろやん。」というヘンテコな名前とurlが刷ってあり、「ここでブログやってます、へへへ」だと、私的な場面ならともかく、ビジネス・シーンでは、おかしな話になりそうです。

それならば、ブログ上に実名をバーン!と書いてしまえば、実名(A)のみの普通の名刺を受け取った人が、(A)をネットで検索するなどして、「ああ、(A)さんは、こんなにうっとうしい文章を書く人なんだな、困った人だな!」という感じで、(A)さん情報が豊富になり、新たなビジネス・チャンスを獲得することもありえますね(チャンスを逃すことも・・・)。

−−−

と、ここまで書いてきて、さっぱり分からなくなりました。考えていたオチにもつながりません。私は、やはり「けろやん。」という存在なんだなあ。

2007年08月24日(金) いよいよトリル氏の出番到来か!?

[] そろそろfinalventについて語ってみるかな。

私は、何処かで書いたと思うけれども、ブログの書き手(所謂ブロガー)ではなく、極論すればエントリ単体で考える。しかし、例外的によく読んでいるブログに対しては、書き手に対する感情、というか先入観が入り込んでしまい、「エントリ単体思考」を押しのけてしまう。

でまあ、私の「エントリ単体思考」をぶっ壊す最右翼がfinalvent氏であるわけで。もちろん、所謂「ことのは問題」における氏の言説は、私には相容れないものだったから*1、この部分に関しては、「エントリ単体思考」が正常に機能しており、罵倒を繰り返してきた。

しかし、当該問題以外の部分に関して、楽しくブログを書かれている氏に対して、酷いエントリを書いてしまったなあ、と思うところもある。例えば、

http://d.hatena.ne.jp/kerodon/20070407/1175920948

この辺り。

しかし、この期に及んで、言い訳するわけではないが、「不味そうだ」と思った私の感情は、煽りのための嘘でもなく、「春キャベツは炒めないほうがいい」というのも私の真実なる感想である。ただ、前述のように、「酷いエントリを書いてしまったなあ」と、今は考えている。

−−−

さて、finalvent氏を例にあげて、「ブログ」というものを考えてみたい。

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2007/08/post_2e1c.html

このエントリ。はてブ至上主義者におかれては、「「9user」しかブックマークされてねえじゃん!(嘲笑)」と思われるかもしれない。私も、チンプンカンプンで、正直、ナニを書いているんだ?と呆然としたのも事実。しかし、分らずながら読んだ結果、はてブコメントに、

[finalvent]久しぶりに良いエントリ。これを起点にして、中東のことを勉強しよう。

てなことを書いた。

私の「良いエントリ」の基準。これは、書籍なんかの読み方で一般的に言われることだが、「知りたいなあ」と思うところに、例えば、雑誌の特集で、興味深く書かれていて、そこから少しずつ勉強したい、と思わせるエントリである。

その意味で、上記finalvent氏の中東問題について言及されたエントリを「良いなあ」と感じて、中東関係の入門書的な関連書籍を手に取ったりした。例えば、

イラン  世界の火薬庫 (光文社新書)

イラン 世界の火薬庫 (光文社新書)

−−−

おそらく、ブログエントリに対するこのような接し方は、本来的なブログというツールの在り方とは、懸け離れていると思う。ブログとは、双方向なものであり、ブログの書き手Aがエントリを物す、それに対してBがより専門的な考察をエントリにしてAにTBを送る。

その拡散化により、例えば、「中東問題」という中心課題が精緻化されていくのが、一般的なブログ世界の理想系だろうと思う。

そして、Xという煽り屋(あるいはノイズ)が乱入して、「理想系」が破壊されるという危機が到来しても、拡散化の波は参加者を淘汰しながらも、浪波と継続して、一つの大系が出来上がる。

・・・というような理想系は稀有なことだとは思いますが、

http://pathfinder.g.hatena.ne.jp/jiangmin-alt/20070220

のリンク集で紹介されている「生産性論争」では、理想系に近づいていたのではないかな?

−−−

しかし、私自身は、そんな「リンクの輪」に対して、批判的です。「やれ、フラットだ!」、「やれ、集合知だ!」と喧伝されても、じっくりと考えて、言葉に記し、他人に伝えるのは、極めて個人的所業であると考えているから。

*1:もちろん、私がバカであり氏の本筋を読めていなかった可能性もありますね。

2007年08月07日(火)

[] 心に刻んだエントリ

鮫島通信が消えたと2ちゃんねるやら、サイコさんが騒いでいたけど・・・

http://blog.livedoor.jp/soul_shadows/

さて、

http://blog.livedoor.jp/soul_shadows/archives/50206851.html

というエントリ。以前、一時的に復活してもらって、私はローカルに保存し、かつ印刷して熟読した。「俺ってすごい男だな!」と浮かれる時、読み直して、足元を固めるエントリ。

2007年08月02日(木)

[] あんまりにも衝撃が強すぎたのかな?

スポンタさんが、長文コメントを投じているBigBangさんのエントリ。

http://d.hatena.ne.jp/BigBang/20070731/p1

エントリ本文自体が、なんだか気弱な時のスポンタさんみたいだ。

(´・ω・`)

特に次の部分。

全体はともかく、この件に関しては深く失望を禁じえない。彼我の溝の深さを思う。

・・・

「メディア・イノベーションの衝撃―爆発するパーソナル・コンテンツと溶解する新聞型ビジネス」という本が、BigBangさんを「衝撃で爆発させて溶解」させてしまったのかな?

付記

Amazonクリックで購入する気持ちになれなかったので、立ち読みして、購入の是非を決めようと思ったら、会社近くの本屋には置いていなかった。

2007年07月30日(月) 近所のおじさんに「見合いをしないかい?」って言われた・・・

[] "貧乏人"は、ブログを書いている。

finalvent氏への批判というわけではなくて、ブログ世界についての考察。

貧乏人は古典を読めだよ

"貧乏人"という言葉には、お金が無くて貧乏人、お金があっても貧乏人という色があるような気がする。後者は、モクモクとした入道雲を見上げて感動することも無く、野暮な言葉を使えば「視野狭窄で足掻いている」ニュアンスがあり、端的に表現すると"貧乏臭い"ということ。

で、上記引用エントリの"貧乏人"は、どちらの色とニュアンスかというと、

カネがなくても人は豊かに生きられるような気もする。

単純に、「おカネが無くて貧乏人」という物質的な意味のようですね。エントリ自体は、赤面するまでの正論で、批判する人=バカ、になってしまうのだけど、

曇天

昨日コメント欄で指摘されたが、私もなんだかんだとけっこう携帯電話漬けの人だな。しかも自覚がなかった。飯食いながらなにげ携帯握っているし。

携帯電話握り締めて、飯食う人間に「古典を読めだよ」と言われても、なんだかなあ。ここは、finalvent氏への批判というか、みっともねえな、という感想。

−−−

さて、本題。

finalvent氏は「古典を読めだよ」と勧められているが、果たして"貧乏人"は、古典を読んでいるのだろうか?あるいは、氏がアドバイスするように「古典を読もう」という気になっているのだろうか?安価なネットに一日中接続して、ブログを読んで、頭が良くなった気になったり、ブログを書いては、「世界に繋がっている!」*1なんて喜んでいるのじゃないかしらん。

さて、私が"貧乏臭い"と述べた人々は、「古典なんか嫁ない」のではなかろうか?あくせくネットにアクセスしては、「web2.0(死語)のウネリに押し潰されそうで気持ちイイ!」、「ブログはジャーナリズムを越えたのだかんね!」と、プールで水浴びしているイメージがある。

で、私は、世の中を斜に眺めながら、

が、気になっている貧乏人です。

参考リンク

http://d.hatena.ne.jp/LondonBridge/20070726/1185424546

*1:ここで言う世界とは、個々人が見えている小さな世界のこと。

2007年06月28日(木)

[] 細切れ時間にイロエロすることについて。

暗い部屋で、独りぽっちで本を読むのが趣味であり、快楽であり、やることなすことであった私です。最近は、仕事が忙しくなり、仕事関係の勉強もイロエロと始めたり、クラシックギターの練習が、眼前の登攀目標であり、独りぽっちの読書というのが、ママならなくなってきています。

■怠翻 - 読書を一生の習慣にするための14の心がけ

引用しましょう。まずは原文から。

一回5分から10分程度の読書のための時間を、一日数回作っておきましょう。

それに対するdankogaiさん談話。

本中の訳注:私の一日平均の読書時間も、実はこんな感じだったりします。フィクションかノンフィクションかによっても違うのですが、一日平均5冊程度でしょうか。ただし、「ながら」も出来るので、意識して時間を作るというところまでは言っていません。

ふむ。これを読むと、dankogaiさんは、一日40分+α*1で、5冊の本を読了してしまう。うへぇ![これはすごい]ですね!というか、負け惜しみで言うならば[ネタ]ですかね。ま、その真偽はさておいて。

あんまり参考にならなかったのですが、

14.Have a reading hour or reading day - 読書時刻ないし読書日を用意しておこう

夕食後にTVやネットを控えれば、それがそのまま読書時間に化けます。平日にそれが無理なら、休日のうち一日をまるまる読書日にあててしまうという手もあります。家族を巻き込んでもいいでしょう。ほんと、チョー楽しいですよ。

ではなく、それに続くdankogaiさんの言葉。

本中の訳注:TVをだらだら見ないようにするだけでいいんですよね、本当は。平熱の時に見る気しないもんなあ、最近は。

当たり前すぎて、くっだらねえエントリだと思いましたが、とりあえずの肝ですかね?

−−−

と罵倒しながら、実は、最初の引用が私には、カテンっ!と来ました。「時間を作って頑張ろうぜ!」というライフハックス本(溢れかえっています)において、小さな叫び声を上げる「すきま時間」。これは、10分とかなんとかだったりします。

これは、「読書」というものを機械的に扱うならば、非常に有効な「10分とかなんとか」になったりします。仕事で、取引先に行く電車内の10分。このタイムリミットを軸にして、読みかけの本を読む。いや、本ではなくても、気になる新聞記事でもいいですね。あるいは、finalvent氏の新聞社説への罵倒エントリでも良い。とにかく、リミットがあること。これは、重要だと思います。

−−−

個人的には、湯船に浸かっている30分間。そして、会社に行くため部屋を出る前、意図的に作り出した10分間に集中してコトに当たるということを大切にしています。

*1:ながら部分のことですね。