けろやん。メモ このページをアンテナに追加

2011年04月07日(木)

[] D・フランシス「矜持」(早川書房)〜最後の花火

矜持 (競馬シリーズ)

矜持 (競馬シリーズ)

一息で読了した。

主人公は17歳で英国陸軍に入隊して以来、「友人は陸軍、恋人も陸軍」という軍人ココロの塊。競馬シリーズ中、あまねく居並ぶ主人公たちの中でも秀逸な人物で、ふとした拍子に微笑んでしまうヤツだ。

で、本作がD・フランシスの遺作(涙)。フランシス夫人が他界したときは、長らくの空白で読者をやきもきさせた後、

http://d.hatena.ne.jp/kerodon/20070220/1171924192

で、”再起”を果たして、これまた読者を安堵と狂喜の渦に巻き込んだのだけど。

うーん、寂しい。

■参考リンク

初心者のためのディック・フランシス入門(執筆者・五代ゆう)

2007年06月24日(日)

[] 横山秀夫出口のない海」(講談社

出口のない海 (講談社文庫)

出口のない海 (講談社文庫)

太平洋戦争末期における人間魚雷回天を巡る物語。

甲子園優勝投手を主人公に配して、彼を取り巻く人間群像が、物語の大枠となっている。ケレンとしては、鳴り物入りで大学野球部に入った彼が、肘の故障で投げられなくなり、「魔球」の研究をする最中、回天乗員として出撃基地に配置されること。

このような物語の結末は、所謂「散るが花」になるのが通例だろうが、それだけでは、ステロタイプな戦争物語の域を超えることができない。読み手としては、最後の「外し」を期待しながら、読み進み、本作ではその外し方の妙を堪能できる。

そして、主人公が「舞台を去った」後も続く物語。人によっては、「なんという蛇足であろうか!」と思うかもしれない。しかし、このシツコイまでの蛇足の配置が、人間魚雷という困難な題材を小説化する上で、見事な安全弁の役割を果たしている。

引用してみよう。

オニヤンマが飛んでいた。季節外れのオニヤンマが・・・。見とれるうち、包みの粉がサーッと風邪にさらわれていった。オニヤンマは西の空に消えた。(略)美しい今日の夕暮れがあった。

終わった物語が、「今日の夕暮れ」を指し示す。

−−−

個人的には、出来不出来の波が大きすぎると感じる横山秀夫作品。本作は、突き抜けてはいないが、及第点の佳作だと思います。

参考

回天(wikipedia)

2007年06月14日(木)

[] 藤原伊織「テロリストのパラソル」

テロリストのパラソル (講談社文庫)

テロリストのパラソル (講談社文庫)

著者である藤原氏が他界されたとき、私が巡回しているブログのコメント欄で本書が話題になっていた。

団塊酒場の常連という感じでありましたが。

ふむ。私が、本書を初読したのは、若かりし頃、近所の古本屋で、「このビデオは無修正ですよ!」とポップされているビデオを購入して、スキップして部屋に戻り、再生したところ、それは無修正に程遠いブツであり、悔し涙を流した翌日だったかな。

悔しさと怒りに溢れた私は、看板に偽りありのブツを陳列していた古本屋でパクって、読んだので、鮮明な記憶に残っている。*1

さて、初読の印象を思い出しながら列記すると、

  • 新宿中央公園を「新宿セントラルパーク」と連呼しているのが鬱陶しいなあ
  • 読んでいる私が恥ずかしくなるほど、会話が村上春樹の二番煎じだなあ
  • プロットが映画「第三の男」のパクりっぽいなあ

と、良い印象を持っておらず、再読することはなかろう、と思っていた。しかし、冒頭に述べたように、著者が他界して、一部で話題になっていたこともあり、文庫化された本書を購入して読み直した。

−−−

「新宿セントラルパーク」について。これは、私の誤解であり*2、物語の核になるもので、派手派手しく連呼されているわけではなかった。

会話が村上春樹。これは、再読しても全くその通りで、赤面してしまった。引用してみよう。

私は顔をあげた。「めんどうじゃないことをたくさんやるか、めんどうなことをひとつしかやらないか。どちらかを選べっていわれたら、私はあとを選ぶタイプでね」

「ややこしいことをいいますね。このバーテン」

「ケチな男だよ」白いスーツが口を開いた。「実際、ケチな野郎だ。けどインテリだな。能書き並べるケチなインテリだ。そんややつほど話に筋をとおそうとするんだ。おれのいちばん嫌いなタイプだ」

プロットについて。その印象もあながち間違いではなかったが、それ以上に複雑なミッシング・リンクが幾重にも連なり、それが繋がったときのカタルシスは非常に大きかった。そして、「第三の男」に通じるものもあるのだが、それを掘り下げたどんでん返し(というのだろうか?)が仕組まれている。そうでなければ、このエントリは、ミステリ・ファンに袋叩きにされるネタバレエントリになってしまう。

・・・と、再読してみたところ、本書の印象は大分変わった面もある。

−−−

さて、一般的に本書をハードボイルド小説と捉える向きが多いかと思われる。しかし、そのような先入観を持って読み始めると、本書を破り捨てたくなる衝動が、沸き起こるかもしれない。

私は、初読時の「悪い印象」が、心に残っていたこともあり、期待せずに読んだ。それが、功を奏したのか、本書が、非常に良質なミステリ小説であることを発見したのだが。なにはともあれ、伏線の見事なる回収が、拍手喝采の一読モノである。

第三の男 [DVD] FRT-005

第三の男 [DVD] FRT-005

*1:この辺り、若干の誇張があるやもしれません。

*2:初読時には、鬱陶しいほどに連呼されていた記憶があるのだけどなあ・・・。

2007年06月13日(水)

[] 「私の履歴書:保守政権の担い手」(日経ビジネス人文庫)

・・・本当は「私の履歴書:知の越境者」を読もうとしたのだが、同書は、発売直後であったせいか、小さな本屋の店頭に配本されておらず、本書を手に取った次第。

分厚いわりには、活字が大きくて読みやすい。岸信介を筆頭に、田中角栄を経由して、合計六人の保守系政治家の「履歴書」が掲載されている。短編小説の趣であり、寝床や風呂に浸かって読む本としてぴったりかな。

福田赳夫は、比較的生々しく記述しており、読み応えがあった。逆に、期待していた岸信介は、農商務省入省時の記述が最後であり、戦前の満州における跋扈、あるいは戦後の日米安保時の対応(とその内面)が書かれておらず、残念。

岸信介(wikipedia)

−−−

で、目指していた「知の越境者」。

昨日、購入しました。個人的には、[これはすごい]人々が、眩しいまでに並んでいます。梅原猛、梅棹忠夫・・・。まだ未読ですが、梅棹忠夫氏が、京都北山から始まり、大興安嶺探検を詳述して、フィールドワークについて語っていてくれていると嬉しいなあ。梅棹さん。僭越ながら、私が尊敬する日本人5人の中のお一人です。

梅棹忠夫(wikipedia)

そして、関連する本としては、

大興安嶺探検 (朝日文庫)

大興安嶺探検 (朝日文庫)

は、フィールド・ワークの名著だと思います。

2007年06月05日(火)

[] 福田和也「地ひらく(上)」(文春文庫)

船戸与一の起死回生、畢生の大作である

風の払暁―満州国演義〈1〉

風の払暁―満州国演義〈1〉

事変の夜―満州国演義〈2〉

事変の夜―満州国演義〈2〉

が07年4月20日に刊行された。これは、日本冒険小説史上の金字塔的凄い本であり、船戸氏に焦点を当てるならば、「蝦夷地別件」の再来とも言うべき収穫本である。だがしかし、一番のクライマックスで、続編が刊行されない・・・。

おぃおぃ、続きはいつ出るのだい?

−−−

・・・と焦りながら、待ち遠しさの快楽に浸っている私なので、その頃の満州情勢を頭に入れておこうと思い、読み始めた本が↓です。

地ひらく〈上〉―石原莞爾と昭和の夢 (文春文庫)

地ひらく〈上〉―石原莞爾と昭和の夢 (文春文庫)

石原莞爾の評伝という体裁を取りながら?戦前昭和の社会情勢を散文的に語りつくした労作です。引用し始めたら切りがないのですが、少し引用してみましょう。

日本において経済学に、「家計」という概念が導入されたのは、第一次大戦後のインフレーションの最中、大正七年頃であると云われている。「家計」という概念が必要になったことに、なによりも日本人の生活の基盤が、伝統的、共同体的安定を完全に喪失してしまったことが示されている。家庭はすでに、産業と資本、そしてそれに連動した消費生活の発展により、乱高下する収入と支出の経済的坩堝になろうとしていた。

この辺りは、漠然と第一次大戦後の日本経済を考えていた私にとって、非常に示唆に富む、調べてみたいなあ、と思う記述でした。

そして、「満州」という地の複雑性についての記述。これは「」付きで「満州」と書かざるを得ないというかな、衝動に捉われるほどの目から鱗の分析でした。右翼の人にも、左翼の人にも一読をお勧めしたい本です。

付記

鈴木商店とライブドアの比較考察を社会・経済的に分析してくれる人が居ないかな?

2007年06月02日(土)

[] 矢作俊彦「ららら科學の子」

ららら科學の子 (文春文庫)

ららら科學の子 (文春文庫)

一冊の書物の発するメッセージは、読み手の数だけ存在するし、ましてや物語なら言わずもがなのこと。ということで、反論とかではなくて、自分のためのメモということで、他の人が書物(物語)に感じたことに関する、私の感想。

http://d.hatena.ne.jp/LondonBridge/20070522/1179791806

で、倫敦橋さんは、「少年」という言葉についての違和感を書いている。

「青年」でもなく「少年」という言葉が選ばれているあたりに、若干の違和感。

女と寝たことがないから「少年」だったのかな?

この物語で、彼が「少年」であるというのは、大きなキーワードだと思う。彼は、地下に潜伏⇒中国へ⇒日本「入国」という遍歴を辿り、物語は、「入国」した日本を中心にして展開される。そして、物語の最後は・・・。

私が考える彼が「少年」として描写された理由。上記、倫敦橋さんが記している

「少年」の政治観・正義感しか、主人公は持っていないようだ。

ことに同感。物語を通じて、主人公は「少年」のままの姿であるように感じる。

私は、彼が「少年」から青年へと羽ばたくのは、30年ぶりの東京を舞台にした本編ではなく、物語の最後の最後なのだと思う。そして、それが、この物語の肝なのではないかな?

例えば、彼を支える「スポンサー」は、最後まで姿を見せない*1。主人公と交わす会話は、電話を通じてのみである。このスポンサー。存在は大きいのだが、そしてその大きさから対比される存在感の希薄は、主人公の彼にとって30年ぶりの東京も「青年未満の場」に過ぎなかったことの暗示に思われる。

物語が終わり、主人公が青年になったとき、彼は地に足を着けた生活する人間になるのだろう、と私は余韻に浸った。

付記

同書を読んだのは、昨年の冬頃。

*1:主人公の妹は、後姿だけが描写されていたかな?

2007年02月20日(火)

[] D・フランシス「再起」

再起 (ハヤカワ・ノヴェルズ)六年の沈黙を破って放たれたD・フランシスの最新作である。ちなみに翻訳者は、菊池光氏ではなく、北野寿美枝氏となっており、不思議に思われる読者がいるかもしれない。菊池氏は、2006年に他界されており、ライフワークとも言えるフランシスの訳業に最後まで携わることが出来なかったのだ。さぞかし無念であっただろう。

さて、「再起」である。原題は「UNDER ORDER」。ここに翻訳の妙がある。かの名作映画「明日に向かって撃て!」の原題と邦訳を比べてみて欲しい。そして、この”再起”という邦題には、トリプル・ミーニングが施されている。それが妙なる所以である。

まずは、六年ぶりの作者フランシスの再起。そして、物語中における主人公シッド*1が別れた妻と精神的和解を遂げるという意味での再起。そして、最後の再起とは・・・。これは読んでのお楽しみである。物語の最後の最後で明かされる。

本書を最後まで読まれたときに、上記に掲げたカバー装丁を見直して欲しい。本書では、カバーも大きな意味を持っているのだ。そして、カバーを外して見ると・・・。ここでも、ちょっとしたお楽しみがある。

−−−

「再起」という言葉。本ブログを読んでいる全ての人にじっくりと考えて欲しい。七転八倒も七転び八起きも生きていなければ、当然のことながら出来ないよ。再起も。

*1:本書は、かのシッド・ハレー、四回目の登場物でもある。