けろやん。メモ このページをアンテナに追加

2016年02月10日(水)

[] 真田昌幸が、手を取り合って結んで開いたりしているなこと。

読んだ。

歴史街道 2016年 03 月号

歴史街道 2016年 03 月号

総力特集は「真田昌幸と関東三国志」ということで、天正壬午の乱の詳細がフューチャーされています。天声(てんせい)人語の欄、じゃなくて天正(てんしょう)壬午の乱とはなんでしょう?

ときは天正10年。3月11日に武田勝頼が自刃して武田家が滅亡します。その後、武田領は織田信長配下の滝川一益支配下となりますが、この滝川さんについてはこちら。

けろやん。メモー藤本正行「信長の戦国軍事学」:都を離れること、正面対決をすること。

すなわち天正九年(1581年)ころ、武田氏滅亡の結果、関東の膨大な領土が信長の手に渡った。その経営を任されたのが滝川一益。齢58歳という老齢。

おっと文中に間違いがありました。武田家滅亡は天正9年頃ではなく、先に述べたように10年の3月です。

さて話を続けますね。事実上織田信長の支配下になった武田遺領ですが、その信長は同年の6月2日に本能寺の変で倒れます。さてここからが「関東三国志」の始まりです。

戦う三国の人は、徳川家康北条氏政上杉景勝の三名。この状況下において、我らが真田昌幸は苦心惨憺にはっちゃけます!

まずは上杉と手を結びます。この場面は、NHKドラマ「真田丸」で先日(2月7日)放映されていましたね。・・・とネタバレになっちゃいますが、昌幸はこの後、北条と手を結び、つぎに家康と手を結び、つづいて再び上杉と手を結び、とうとう秀吉と手を結ぶことになります。手を取り合って結んで開いてですね。

さて冒頭の雑誌に戻ってみますとこちら。

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恐ろしく詳細な年表です。天正10年10月26日の項を引用しましょう。

昌幸、碓氷峠を占領、北条軍の補給路を断つ。北条は進退窮まり、徳川と和睦へ動く。

ねっ!詳細かつ躍動的でしょ。そんなこんなで勉強になる特集でした。

2016年02月04日(木)

[] 天正10年の浅間山噴火

観た。

歴史秘話ヒストリア-偉大なる父・信玄よ!〜若きプリンス 武田勝頼の愛と苦悩〜

浅間山噴火と武田勝頼逃避行について。およッ!きのう書いたエントリにタイムリーヒットだ。

番組では真田昌幸の進言も小山田信茂の裏切りも触れられてはいなかった。浅間山の噴火については、新府城にて「戦うぞ織田信長!」で気勢を上げたところで噴火。すわっ!武田家滅亡じゃあ!ということで家臣が離れていったとのこと。

時系列は、戦うぞ!→噴火→逃避行。きのうのエントリの時系列は、岩櫃城へ行こう(逃避行)→噴火→岩殿城へ行く(逃避行)なので食い違いがあるなあ。

頼り切るのは良くないことではあると思うんだけどWikipediaを見てみよう。

Wikipediaー武田勝頼

そして勝頼にとって間の悪いことに、織田軍の侵攻の始まった2月14日に浅間山が噴火した[13]。 当時、浅間山の噴火は東国で異変が起こる前兆だと考えられており[14]、さらに噴火のタイミングが朝敵指名および織田軍侵攻と重なってしまったために、武田軍は大いに動揺してしまったと考えられる[15]。

この後に逃避行が始まる。そして先に述べたように、ミクロに逃避行を分けると、岩櫃城へ行こう(逃避行1)から岩殿城へ行こう(逃避行2)という流れみたいだな。

2016年01月26日(火)

[] 地図を抱いて歩こう。

大河ドラマ「真田丸」が始まったこともあり、勉強がてら読んでいる。

真田戦記 (学研ムック)

真田戦記 (学研ムック)

メモをしながら。

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一所懸命に地図なんかも書いているんだけど、手元にある地図が小さく、目が疲れて頭が痛くなっちゃうので購入しました。

新訂 ワイドアトラス 日本地図帳

新訂 ワイドアトラス 日本地図帳

片面A3サイズ。なにしろ大きくて見やすい。縮尺は全編1/37万で、都道府県に縛られない編集なので「地形の連続性」が生かされています。

そして発行が2015年9月16日ということでできたてホヤホヤなのも嬉しいですね。北陸新幹線もばっちり決まっています。

ついでに購入しました。

こちらは、ほぼ東京23区全域を縮尺1/10,000で網羅しています。また都市部は、1/5,000でピックアップされているので、大きく覗くことができます。表参道周辺はこんな感じ。

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こちらも発行年が2016年1月5日のホントにホヤホヤです。グーグルマップも便利ですが紙の地図を読むのも楽しいですよ。

さて、冒頭の本に戻って、少し引用してみましょう。p.20の第一次上田合戦(天正13年)の紹介です。戦略・戦術を鳥瞰することができます。

ここで昌幸が採り得る常識的な手段は、上田城を捨て、戸石城に籠もり上杉勢の後詰を待つことであった。だがそれは、独立した領主(大名)としての真田家にとって政治的には下策となる。独力で敵を撃退してこそ大名としての面目が保てるのだ。

上杉勢の力を借りずに独力で撃退するのが「戦略」とのことです。

だが、この地(神川渡河点:引用者注)での防御は、ただ単に守るだけで、敵に大打撃を与えられない。なんらかの手段で敵に侵攻を諦めさせるに足る損害を与えられなければ、防御作戦はついに破綻してしまうのである。つまり神川渡河点での防御は「戦術次元」では正解だが、その上の階層である「作戦次元」では、これまた下策なのである。

敵の侵攻を諦めさせることが「作戦」の肝であり、それを実現するべく手段が「戦術」とのことです。こちらの筆を執ったのは樋口隆晴という人。ミリタリーライターなる肩書にびっくりですが、名に違わず熱い文章が次々に繰り出されます。お勧めですよ。