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見たいもん ☆ 録りたいもん

2016-01-20

見たいもん 録りたいもん(30)  ホテル カリフォルニア 〜哀悼 グレン・フライさん

つい数日前、ロックスターのデビッド・ボウイさんの哀悼のブログを書いたばかりだというのに、また偉大なアーティストの訃報が飛び込んできました。

ロックバンド、イーグルスのメンバーだったグレン・フライさんが18日、67歳でご逝去されました。

アメリカ人の方でしたら、デビッド・ボウイさんよりも、グレン・フライさんのほうがショックが大きいかもしれませんね。

私は、デビッド・ボウイさんと同じくらいの大きな衝撃と寂しさです。

ネット上や電車内のニュースなどでは、デビッド・ボウイさんと同等の扱いでニュース告知していました。

テレビではあまり伝えていませんが、かなり大人向けの良質な楽曲を作っていましたから、日本のテレビではインパクトがないのでしょうか。

イーグルス名曲ホテル・カリフォルニア」しか知らない一般の方も多いかもしれませんが、1970年代以降、母国アメリカはもちろん、日本の洋楽ファンのあいだでは、とてつもない人気と売上を残しました。

イーグルスは、それほど数多くのアルバムを残したわけではありませんが、発表曲は何せ名曲ぞろい。

いわゆる「ウエストコースト・サウンド」の代表的なアーティストと位置付けられています。

ちなみに、「ウエストコースト・サウンド」とはアメリカ西海岸生まれのサウンドの呼称で、この呼び方は日本でしか通用しません。

ネット上などでは、「ウエストコースト・ロック」の別称とか書いてあることもありますが、私は、当時そんな呼び方を一度も聞いたことがありませんね。カントリーロック、サザンロックなどの分野名はありましたが…。

さて、イーグルス

名曲デスペラード」は、今でも日本のテレビやラジオで時おり耳にしますね。

イーグルスの初期は、「テイク・イット・イージー」に代表されるような結構カントリー色の強い楽曲も多く、大地の香りのするような哀愁のバラードや、陽気なドライブに持って来いの軽快な楽曲も多くありましたね。

徐々に社会の暗さや人生の悲哀を唄ったり、サウンドもロック色を強め、1976年、名アルバム「ホテル・カリフォルニア」で頂点に登りつめます。

あのレコードジャケットのホテルの写真を覚えていますか。夕焼けを背景に、ヤシの木に囲まれた、薄青い光が建物を照らすあの写真です。

あれは、ロサンゼルスのサンセット通りに実在するホテルで、「ビバリーヒルズ・ホテル」と言います。

当時、あのジャケット写真は心霊写真と言われ騒がれましたが、よくはわかりません。

実は小生、80年代に、そのホテルを実際に見に行きました。近年はだいぶ補修しているそうですが、当時はまだ、レコードジャケット写真そのままだったと思います。

ジャケットではよくわかりませんが、建物の外観は薄いピンク色です。

ピンク色と聞くと派手なものをイメージされるかもしれませんが、当時よく建物に使われていた、少し不気味な暗い色合いのピンク系の色です。「ホテル・カリフォルニア」の暗い歌詞にぴったりの外観でしたね。

当時、影響された私は自分の机の上に、ヤシの木の模型を飾っていました。車のダッシュボードの上にヤシの木を飾っている車も当時は多かったですね。

今、そのホテルがどうなっているのか、よく知りません。訃報により、ここでまた脚光を浴びるかもしれませんね。

とにかく、すべてが名曲だったあのアルバム「ホテル・カリフォルニア」(シングル曲と同じアルバム名)。このアルバムはグラミー賞を受賞しました。私も、何度聴いたか わかりません。紙のレコードジャケットも私の宝ものです。そのような方も多いはず。

少し脱線しますが、この曲の後半は歌声のない、ギターソロによる長いインストルメンタルです。エリック・クラプトン名曲「いとしのレイラ」も後半はすべてギターのツインソロによる長いインストルメンタルですね。

当時、この2曲をラジオ局が流すときに、この曲の後半部分を絞ってしまう番組も時々ありました。

音楽ファンからは、そんなことをする番組やDJは、よくバカにされたものです。ステーキ屋さんに来て、肉を食べずに帰るようなものですね。

さて話しを戻します。

グレン・フライさんのソロ時代も、映画でのヒット曲があったり、コンスタントにヒット曲を出していましたね。

渋いけど、重すぎず、さらっとした清涼感を感じる。

ちょっと都会的だけどあたたかいバラード。ほんのりカントリーテイストのロックンロール

エディ・マーフィーが主演した映画「ビバリーヒルズ・コップ」の主題歌「ヒート・イズ・オン」も彼の作品ですが、音楽を聴くとエディ・マーフィーの軽快なフットワークのシーンが目に浮かびます。

バブルの頃、「ザ・ワン・ユー・ラブ」をしんみりと何度も聴きました。

ちょっと鼻にかかった声で、少し頭を傾けながら歌う姿を思い出します。来日公演でも、たしかあの白色の上下のジャケット衣装でした。

まさに、これこそウエストコースト・サウンドという音楽でしたね。

1979年イーグルスと並ぶ、もうひとつのウエストコースト・サウンドの巨頭ドゥービー・ブラザーズが「ホワット・ア・フール・ビリーブス」で、グラミー賞を受賞します。

この頃のアメリカ音楽の代表が、まさにウエストコースト・サウンドでした。

こんなサウンド、他の国では生まれてきませんね。

ここで、ウエストコースト・サウンドの頃の音楽事情について少しご紹介します。

今、40歳代、50歳代、60歳代くらいの方々は、いわゆる「ウエストコースト・サウンド」や「AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)」を、1970年代ころから80年代にかけて、たいへんよく聴いていた世代ですね。

おそらく、その世代は日本の曲よりも、洋楽のほうを多く聴いていたのではないでしょうか。

ウエストコースト・サウンドが全盛期を迎えるのは、マイケル・ジャクソンマドンナが大流行する少し前の時代です。ディスコ・サウンドとは少しかぶっているでしょうか。

アメリカは、70年代ころは、高度成長が一段落し、いろいろな社会問題が噴出してきた時代でした。陽気で明るさもあるのですが、何か混沌とした少し暗い雰囲気もじわじわ漂う感じがしました。

とはいえ、アメリカ西海岸から生まれるサウンドは、明るい太陽のイメージで、のんびりとした雰囲気を感じました。カントリーフレーバーのあるロック、いわゆるサザンロックも流行していましたね。

60年代から70年代、ロサンゼルスには、有能なミュージシャンの卵がどんどん集まり始め、ロスが音楽の都にどんどん成長していった時代でした。

60年代ジェファーソン・エアプレインやCSN&Y、CCRあたりのミュージシャンをウエストコースト・サウンドという方もいますが、私は少し違和感がありますね。何かちょっと違う気が…?

バンドの誕生が西海岸とはいっても、すべてがウエストコースト・サウンドの範疇には入らないと思います。

ジェファーソン・エアプレインは、70年代後半、ジェファーソン・スターシップとなって復活しますが、完全なアメリカン・ハードロックバンドでした。その後80年代、あのスターシップになります。

71年、リンダ・ロンシュタットのバックバンドだったメンバーがイーグルとなります。

その頃、アメリカ西海岸からは、今でも活躍している たくさんの有名アーティストがキラ星のごとく輩出されました。

私が感覚的にウエストコースト・サウンドかなと感じるアーティストは、イーグルスドゥービー・ブラザーズの後期(マイケル・マクドナルド参加後)、リンダ・ロンシュタットジャクソン・ブラウンジェイムス・テイラー、JDサウザーあたりでしょうか。イーグルスから脱退したジョー・ウォルシュランディ・マイズナーももちろん入りますね。

イーグルスの、レノンマッカートニーと言われたドン・ヘンリーグレン・フライさんですが、ドン・ヘンリーは80年代には、アメリカの都会派音楽の象徴のような存在になりますね。

私にとってのウエストコースト・サウンドは、それを聴けば、やはりヤシの木とロスの高層ビル群、サンタモニカのサンセットビーチが目に浮かぶことです。そうでないと、さわやかな風が吹かない…。

70年代後半になると、ウエストコースト・サウンドを受け継ぐようなAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)が生まれてきます。ソロ・ミュージシャンとどこが違うのか、特に定義はありませんでしたが、皆何となくわかりましたね。サウンドが洗練され輝いていました。

ルパート・ホルムス、クリストファー・クロスマイケル・マクドナルド、ジノ・バネリ、ボズ・スキャッグス、バリーマニロウ、ライオネル・リッチー(コモドアーズから脱退)など、多くのソロミュージシャンが洗練された都会的サウンドと素晴らしい楽曲で一世を風靡しました。

ひとり名前をあげませんでしたが、日本では、まずこの方の名前があがることでしょう。

ボビー・コールドウェル

若い方は信じられないかもしれませんが、昔は、たばこのCMがテレビで一日中たくさん放映されていました。パーラメントという銘柄があって、今の日本のテレビCMの質からは想像できないような、おしゃれなCMがたくさん作られていました。青い空に飛行機が通過したあとに残る白い飛行機雲が印象的だったCMを、今でも覚えています。CMの間だけ、さわやかな別世界に連れていってくれました。

そのCMに使用されていたのが、ボビー・コールドウェルの楽曲でした。

今でも、外国のテレビCMには、おしゃれでカッコいいものがたくさんありますが、日本でも昔は、そうしたカッコいい大人向けのCMもたくさん作られていました。

AORの範疇に、TOTO(トト)やシカゴが入っている書物もありますが、私の感覚では入りません。彼らは、彼ら以外の何物でもないでしょう。

70年代後半だったと思いますが、音楽業界が不況に入ります。ビジネス戦略として、映画とロックのコラボがどんどん生まれてきました。

ロックの楽曲が入った映画のサウンド・トラック・アルバムもバカ売れしていましたね。

私はケニー・ロギンズもAORとは言いたくないですが、映画フットルースや映画トップガンの主題歌も大ヒットしましたね。

AORの人気がすっかり定着し、日本でもAORの大ヒット曲が連発しました。本国アメリカでヒットせずに、日本だけでヒットする楽曲もあらわれました。何か日本には独自のAORの歴史が作られましたね。

そして1980年、エポックメイキングなアルバム「エアプレイ」が登場しました。

その後の音楽シーンに多大な影響を与えるデビッド・フォスターの登場です。

80年代なると、ジャーニー、TOTOフォリナーREOスピードワゴンヴァン・ヘイレンなど、のちに「産業ロック」とも呼ばれる壮大で豪快なロック音楽、いわゆる「アメリカン・ハードロック」の全盛期がやってきます。

下積みが長い、楽器の腕もボーカルの力量もピカイチの連中が、急激に出てきました。少し後には、ヘヴィメタルも生まれてきます。アメリカハードロックはさらに大きく育っていきます。

ウエストコースト・サウンドからAOR、そしてアメリカン・ハードロックへ。もちろん、これはアメリカ西海岸でおきた現象ですので、東海岸や他の地域では別の流れもありました。さすが懐の深いエンターテイメントの国です。

話しはここまでにしますが、ウエストコースト・サウンドの大流行のほんの少し前、70年代前半の日本は、プログレッシブ・ロックが絶大な人気で、それまでクラシックしか聴いていなかった人たちまでも、プログレにのめり込んでいました。

一方、英国レッド・ツェッペリンディープ・パープル、少し後のクィーンなど、ブリティッシュ・ハードロックも日本では絶大な人気で、日本製のロックなどほぼ蹴散らされていましたね。日本では、後にテレビの影響でクィーンのブームがきますが、この頃のクィーンは完全に骨太なロックバンドでした。

そんな中で、ベイシティ・ローラーズなどのアイドルバンドの大ブーム、アバの大ブームもありましたし、今では信じられない、ポール・モーリアなどのイージーリスニングの大ブーム、タンゴマンボの大ブームもおきていました。70年代後半には、あのディスコの大ブームがやってきます。もちろん、グラムロックパンクロックも生まれてきました。R&Bやロックンロールはもちろん進化していきましたし、今でいうソウルミュージックモータウンサウンドも大流行していました。

クラシック界やジャズ界にも、たくさんの名指揮者や名演奏家がたくさん出てきました。

日本は世界の流行とほぼ同じ流れで進んでいました。決してガラパゴスではなかったですね。

70年代には日本独自の、アイドル演歌ムード歌謡など、日本型歌謡曲の全盛期に突入しましたね。フォークやニューミュージックなどの、テレビに出ないミュージシャンも大人気になっていきました。

今思うと、何でこんなにたくさんの種類の音楽を、当時の人たちは同時に聴いていたのでしょう。

70年代から80年代は、とにかく世界的に音楽が大成長していった時代です。新しい音楽の誕生と進化があまりにも早く、激流のように音楽の歴史がつくられていきましたね。

私は何が好き、あの人は何が好き…とにかく、人によって好きな音楽がまったく異なるような時代でしたね。おそらく今より、人の音楽の好みの種類は格段に多かったと思います。

この20年くらいは、とにかく誕生と進化の速度があまりにも遅く、新種も少ないですね。ひとつの流行が長すぎます。音楽どころではないという時代なのかもしれませんし、音楽以外の娯楽も増えましたね。

再び音楽の歴史が、激しいうねりをあげながら、怒涛のように突っ走る時代を見てみたい気がします。

今回ご紹介したイーグルスは、カントリーロックの分野でも巨星という位置づけがされていますね。

また別の機会に、スターが勢ぞろいのカントリーロックやサザンロックの思い出も書きたいと思っています。

個人的には、ジョニー・キャッシュやグレン・キャンベルなど、カントリーでもないAORでもない、彼らだけの素晴らしい世界についても、ご紹介したいと思っています。

今回、グレン・フライさんの楽曲を聴きながら、当時の世相を、やっとの思いで頭の中から引っ張り出してみました。

自分が若いころから聴いてきた、私より世代がほんの少し上の偉大なアーティストたちが、ひとりまたひとりと いなくなっていくことは、とても切ない気持ちになります。

何か自分の中の「ホテル・カリフォルニア」の灯が消えたような寂しさがありますね。

ブルース・スプリングスティーンが19日の自分のコンサートで、いきなりイーグルスの「テイク・イット・イージー」を歌い始めると、会場全体が合唱し始めるという映像をネットで見ました。涙が出そうな光景でした。

「分かろうとしなくていい。陽気に突っ走ろう。二度とここには戻らない。重い荷物をおろして、自分の居場所を見つけに、自分らしく気楽に走ろう。気楽にね。」

こんな内容のお気楽な歌ですが、年をとった今でも、私の心に響きます。

グレン・フライさん、良質な音楽を本当にありがとう! Take it easy!

( jiho )

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