とうみんにっき

2016-01-20 「うた、かぜ、ひずみ」

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うた、かぜ、ひずみ


今回のレコ発ライヴの事、そしてレコードの事。

ちゃんと書くにはとっても長くなりそうでなかなか書き出せなかったです。

でも、一週間前になって、書かなきゃなんないなって本気で思うので、

今深夜2時、明日は仕事も夕方からなのでやっと書こうと思います。

物凄く物凄く長いので、読まれる方は無理しないでください。


今回のレコードをつくることになったのは今年の夏前に、

なりすレコードの平澤さんと、あるきっかけで知り合い、

7インチ出しませんか?と言って下さったことが始まりでした。

FMNの石橋さんも賛成して下さって、

共同で出しましょう、という話になったのが昨年8月、

わざわざ京都から石橋さんが来て下さり、

高円寺にて詳しく会議をしたのでした。


その時に、せっかくだから今までと違うことをしてみませんか、

メンバーはみずいろの演奏者以外で、

レコーディングも今までずっとGOKsoundでしかやっていなかったけれど、

他の場所で録音してみてはどうかと二人が言って下さって。

11月3日にレコードの日というのがあるから、その日に発売しましょう、

でも間に合わせるにはあまり時間がなく、

出来るだけ早く録音しなければいけない

その場で即決すべく自分がなにをしたいか考えた時に、

誰も他の演奏者を入れないで、一人でやってみたい、

今回はやわらかな印象の録音でなく、

ライヴに近い、ひりひりしたものを録りたいです、

録音場所はピースミュージックで。と自然に希望が出てきた。


ピースミュージックは、私の長い間大好きな、

「渚にて」の3枚のアルバムを録音した場所で、

中村さんもアルバムの中で演奏に参加していたりして、

お名前をとても昔からよくしっていた。

ずっと気になっていたその場所で、と思ったのでした。


あっという間に、9月に録音が決まって、

9月初旬に中村さんと初めての顔合わせをすることになった。

その前日に、8月末の二日間、ある二つのライヴイベントに出演した。

上野のブラックナードフェス、阿佐ヶ谷の天でのイベント。

上野は15組くらい、阿佐ヶ谷は10組くらいいろんなバンドが出ていて、

どちらも、場末というか、少し雑然とした場所で、

けしてメジャーな気持ちよい心地よい音楽ばかりではないような

ある場所では「スカム」と括られて呼ばれるような音楽であったりする、

変わってるなって思う人たちが多く出た、そんなイベントだった。


私は元々、無善寺で音楽を始めた頃、とにかくめちゃくちゃで、乱暴で、

なんだかわからないけど、全部ぶち壊したいとおもっていた。

だれかを心地よくしたりできるような物では全くなかったとおもいます。

そういう自己の攻撃性を発する行為であった演奏から、

少しずつ少なからず聴いている他者の耳を意識するように変わっていって、

自分の音楽を音楽という型の中で少しは整って聴かせられるようになるまで

かなりの時間がかかって、今があります。

特にアルバムが出てからは、とにかくいびつな部分を自分でなくしていこう

ちゃんと整えてやっていこう、ってその方向に一生懸命だったと思う。

整えなきゃと思えば思うほど、自分の歪みや不格好さ、下手である事、

攻撃的なところ、ネガティブなところ、狂っているところなんかが、

どんどん恥ずべき事、未完成の象徴であるように思えて、

隠そうとしていた時期があった。


でも、一昨年大柴君が亡くなった事、その事が私にはとっても大きくて、

それ以来、たくさん昔の事を考えるようになって

自分が昔やっていた音楽やみんなが昔やっていた音楽、

そして大柴君がやり続けようとしていた音楽、ロック、

けしてわかりやすくも整ってはないけど、

その人がその人である為に生じる歪みや、

不格好さをそのまま出しちゃうってこと

それがわたしがずっと愛してきた「ロック」だったりすること、

そのことにとても、なにか絶対的な自分の大事な物があることを

どんどん思うようになってきた。


でも、何年かかけてしみついた、

ちゃんとしなきゃいけないコンプレックスはなかなか抜けず、

そんな揺れの中で、夏の終わり、二つのイベントに出て、

25組くらいのアーティストたちを二日続けて一気に見た。

その人達はけして今の最先端でもなく自分も含め、

特別人気がある人たちでもなく

だけど、全部のライヴ、目が離せないような危うさや歪みを抱えた人たちを

たくさん次々に見た。

私は一日目でもう駄目だってくらい昔の感覚がもどって来ているのを感じて

二日目で、狂いそうになってしまった。

今ここで聴いてるこの未完成な音楽が好きだ、ロック好きだ、

っておもいすぎて、お酒を呑んで酔って泣きながら、

終演後みんなでセッションとなり、ドラムを素手で叩きまくって、

手から血を出してしまうくらい嬉しくなった。


奇しくもその次の日が中村さんとの顔合わせで、

朝までお酒を呑んでしまった後、帰って少し寝てから、

気を引き締めて調布のピースミュージックまで急いだ。

平澤さんがついてきてくれて、中村さんに会いました。

自己紹介のため、今までの音源を全部渡し、聴いてもらったら、

中村さん、ああ綺麗ですね、

でも僕はこういう綺麗すぎる音はちょっと苦手なんですよね、

別にうちで録らなくてもよくないですか?なんでうちにきたんですか?

みたいなことを言われてしまった。シーンみたいな感じだった。

びっくりしたしうろたえた。どうしようかと思った。

昔の私なら、じゃあ、すいません、今回はここで録るのはやめますね、

となっていたかもしれない。

でも、私、食い下がって、いや、綺麗なだけじゃないです、って、

自分はそういうきれいなだけの音楽がしたくて音楽始めたんじゃなくて、

って今までの話を延々してしまった。

今回録りたい曲のデモはないの?って言われて、なかったので、

今うたうので、ギターを貸して下さい、って、生でうたい始めてしまった。

本当に慌てていて、今思うとおかしかったけど、

なんだかどうしてもそこで引き下がりたくなかったのだった。

緊張しすぎて、あのときのうたが、おそらく1番ひりひりしていたと思う

短めにうたって、うたい終わったら中村さんが、さっきの音源とちがうね、

思ったより声も小さくないし、ギターもしっかりしてるじゃないですか、

みたいに言ってくれた。

「はい、一応12年やってるんで!」みたいな今思うと笑えるけど、

一生懸命その後も3曲ほどうたって、

中村さんが「ライヴ見てるみたいで面白かった」って言ってくださって

「じゃあとにかく録音やってみましょうか」ってことになって、

「はい!」ということになりました。

「今までと違った事もやってみましょう」とも言ってくれた。

帰り道平澤さんと、最初はほんとどうなる事かと思ってひやひやしたけど、

無事できることになって良かったね、って、話しながら帰った。


そんなこんなで、ピースミュージックでのロックの関門みたいなのを

なんとか突破して、録音を始めた。1日目は平澤さんも来てくれて、

それは、とても楽しい2日間でした。

最初は、なんにも考えず、ギターの弾き語りを録ろうと思っていたので、

まず歌とギターを録った。

これは凄く時間がかかって、なんども間違えて、なんどもやり直した。

あんまり間違えるので、2曲だけなんとか録って残りは次の日にしました。

中村さんが曲に変化付ける為にも、なにか重ねてみたら?と言ってくれて、

最初はベースを重ねました。CDの一曲目。「今日の終わり」

気づいたら間奏でベースソロを弾いていて、聴いてみたら、なかなか良く、

一発でOKということになった。

そしてグロッケンを弾きたいです、って私が言って、

そのベースソロのところに重ねてみたら、

不思議な味わいが生まれた(ようなきがした。)

なんかそのくらいからどんどんすっごく楽しくなっていって、

そこから、中村さんがアイデアを出してくれて、

「夜と風」にエレキギターを重ねてみた。

中村さんがエフェクターを提案してくれて、

そのとき「ディレイ」というものを初めて知った。

(ちなみに録音が終わってのち、あまりに気に入って、

ディレイを買ってみた。まだ使いこなせていないけれど)

それも1テイクですごく良い音が録れた。

23時を回るくらいまで居て、ほくほくと家路に着きました。


そこで一日目が終わって、すぐに続けて二日目、

この日は平澤さんは居なくて、中村さんと二人。

本当は残り3曲の予定だったけれど、なかなか上手く行かず、

途中で突然昔の曲「うそ」がうたいたくなって、

入れるかわからないけれど、というつもりで、録音した。

「うそ」だけは一発録音で、他のうたは、なんどもなんどもやりなおした。

結局その日は4曲のうたを録りました。

そして、やっぱり、うたをなんとか録り終わった後の

重ね録りは楽しかった。ひととおりベースを重ねたあと、

「あの頃のこと」にオルガンを重ねた。

このオルガンもピースミュージックに昔からあるもので、

とにかくいい音がします。

渚にてやゆら帝でも聴いた事があるような気がして、

これぞピースミュージックの音だなぁ、と思った。

オルガンって、弾いていても一瞬で音の中に入り込んでしまう。

天と繋がるような感じがしながら弾いた1テイクでOKでした。

「うそ」「日だまりの中で」はベース以外重ねないことにして、

最後に「風、青空」。最初、間奏では何を弾くか考えていなくて、

オルガンを弾いてみたりしたけど、なんか違うね、って中村さんと話して、

自然と、「エレキで、ファズをつかってみようかな」と出て来た。

中村さん、倉庫にファズを取りにいってくれて、

数ある中から選んで下さり、セッティングしてくださる、

一回目の間奏を録る、あ、このおとだ!って思った。

そして、二回目の間奏で、なにかのりうつったみたいになった。

終わると中村さんが爆笑していた。1テイクでOK。

私は、えっもう一回録りませんか、って感じだったけど、

中村さんはいやいや、これ以上やらなくてもいいでしょう、って言ってくれて。

そして同じ部分に中村さんが提案してくださって少しだけドラムを入れてみた。

中村さんが聴こえるか聴こえないかくらいの音量に調整してくださり、

その感じがとても効果的でびっくりした。

それが最後で、録音終了。

楽しかった楽しかったとはしゃいで帰ったのでした。

今思うと、中村さんに本当にたくさん導いてもらって、

自分のいろんな眠っていたところがひらいた二日間だったと思います。


だけどそこから、ミックスマスタリングと進むうち、

自分の真面目で臆病なとこがどんどん、出て来た。

これ、うたも、演奏も下手すぎるんじゃないか・・・

声がひっくり返っている、音もやたらにローファイなきがする、、

なにより全部自分の音なので、聴いていてうんざりしそうになる。

今まで綺麗で整ったものしか音源で出してこなかったけど、

これを聴いて、今までの聴き手の方達はいったいどう想うだろうか。

悪い方に考えると、どんどん悪い考えになっていって、

そこからノイローゼのように毎日朝晩家に居る時はコンポに貼り付いて

聴き続ける日々。聴けば聴くほどわからなくなっていった。

録り直した方がいいかもしれない、とまで思ったのだけど、

石橋さんも中村さんも録り直さなくていいときっぱり言って下さった。

それでも発売まで1ヶ月半ほど、毎日聴き続けてしまった。

もういいのかなんなのかわからなくなる気持ちの中で、混乱していた。


それでも、友人の写真家、平沼宏之さんが8月の終わりに撮影してくれた、

すばらしい写真が出来上がり、急いでジャケットのデザインをし始め、

yamasin(g)さんと平澤さんと石橋さんとの話し合いの中、

平澤さんが歌詞は手書き文字を使ってみたら、

とアイデアをくださったりして、夜中に手書きで書いた歌詞を、

yamasin(g)さんが今回も素晴らしいデザインをしてくださり、

プレスされたレコードと歌詞カードがぎりぎりに届いた。

発売日の3日前くらいに、池上の平澤さんの事務所で1日梱包作業を進め、

一枚一枚歌詞カードを自分の手で折っていった。

やっぱり完成した作品は自分が思う以上に色んな人の手が加わっていて、

自分にとっては宝物になりました。


まぁそれでも中身の方にはなかなか自信が持てず、とても不安な中、

11月3日レコードの日に、無事発売。

それからどれくらいの方が聴いてくださったかはわからないのだけれど、

時々頂く、聴いて下さった方の嬉しい言葉やかえってくる反応は、

自分が思うよりも全然、今までの作品との違いを、

受け入れて下さっている方が多かったように思います。

色んな反応があるけれど、今までの録音で一番好きです、

と言って下さる方も数人居て、とっても意外でした。


そんななかでも、もしかしたら、

今回のはわからないっておもうひともいるかもしれない

いいかどうか、わたしもわからない。

でも、このレコードを作って、自分の中のいろんなことが、

とってもおおきくかわった、自分はなにをしたいのか、

自分の音楽のことを考えたりするおおきなきっかけになった。

その体験があったから、この録音が出来てとてもよかったとおもう

聴いて下さった方、ほんとうにありがとうございます。

そして一緒につくってくださった皆に本当に感謝しています。


***


レコ発ライヴは、落ち着いて、年明けにしたいです、って話を、

平澤さんや石橋さんにはしていました。

今回は一人で録音したから、メンバーは居ません。

一人きりでワンマンは少し寂しいし、では競演に誰を呼びたいか、

と考えたとき、すぐに豊田さんのことが浮かびました。


豊田さんの事はずっと知っていた、13年前からなんどか見た事もあった。

でも20代のとき、たった数回だけど、

みたときは私はわかることができなかった。

音楽は、現実を忘れる為にあってほしいと強くおもっていたから、

豊田さんの歌の中から浮かび上がるリアルな何かは、

その時の、現実を見ようとしない自分にはきつく感じたのだったとおもう

だけどそれ以降も数年見なかったのに、

あまりにも自分の周りの大事な人たちがこぞって豊田さんを大好きで、

豊田さんの話をいつも聞いていた。


震災以降、どんどん自分は、

大事なのは夢みたいな抽象的なものだけではないと思うようになっていて、

豊田さん今ならわかるかもしれない、

いつか見にいかないといけないって思うようになった。

豊田さんのtwitterの言葉も好きだった。

そしたら昨年の夏くらい、ひょんなことから、うたをみにいくより先に、

友人を通じて、偶然一緒にお酒を呑む機会が訪れました。

もうそれはそれは楽しくて、豊田さんの人間的な魅力に驚いた。


その後ついにライヴを見に行く事が出来て、思っていた通り、

今の自分には豊田さんのうたがすんなりはいって来た。とても感動した。

そのリアルさは、今の自分にはとてもとても優しく感じた。

うそが少ない、生きてる人のうただったから、

聴いていて背筋がピンと伸びた。

挨拶して話してたとき、穂高さんのライヴも近々見に行くって言ってくれた

でも、私はいや、豊田さんには見られたくないんで来なくていいです、

みたいにごまかしていた。

いきなり来られたら、とてもうたえないと思った。

自分のうたは豊田さんと比べてしまうと

ゆめみたいで本当に生きてるだろうか?とおもったから。

今もそう思っています。

このレコ発に呼ばせてもらうのはとても勇気がいったけど、

もし本とうに豊田さんが見に来ると言ってくれてるなら、

ちゃんと競演して、本気でやって、対峙するしかないと思いました。

それで、もじもじしていたけど、12月になってやっとお誘いしました。

とても快く応じて下さり、本当に嬉しかった。


年末に出た豊田さんの新しいアルバム、

「SHINE ALL AROUND」もとっても良かった。

生きる力のようなもの、言葉が迫ってくる。生きてる世界だなぁ、

カンフル剤のように、奮い起たされるような。

クアトロでのライヴもいったけれど、そこは完全に娑婆でありました。

まず入ってすぐ、歌舞伎町に立っている時のような雑多な感じや、

自分のいつも行くライヴに比べて、人が優しくない感じがした。

だけどそんな優しくなさそうな人たちが、

みんな豊田さんのうたに感動してた。

うたをそこにいるみんなが一心に感じようとしてたあの感じは忘れられない

凄いなぁと思ってその晩は眠れなかった。

豊田さんのバンドでギターを弾く冷牟田君のギターも本当に綺麗だった。


ライヴのこと考えた時に、

オープニングアクトにミッシングいろり箱庭というのも、

すぐに思いついた事だった。

昨年から木村さんとなんどもライヴを重ねているミッシングいろり箱庭は、

自分にとってソロと同じくらい大切な物で、

初めて、自分のソロと、同じ時と場所でライヴしてみようとおもった。


ミッシング箱庭では、長年ベースを弾いていました。

だけど、大柴君が居なくなってからエレキギターを弾くようになった。

エレキギター、8年ぶりに弾いて、めちゃくちゃなんだけど、

やっぱり楽しくてどんどん大きい音を出したりするようになっていってる。

もしかしたら、私のソロは静かだから好きだという人も居るかもしれない。

私がエレキをめちゃくちゃに弾いて、

大柴君の作った面白い歌詞のへんてこなうたをうたっていたら、

え?ってソロと違いすぎて戸惑う方も居るかもしれないとも思ってる。

でも、両方自分だからなぁ、っていうのが日に日に強くなっていて

今はかくさずさらけ出したいと思う気持ちがとてもある。

自分は静かなだけじゃない、おしとやかじゃない、繊細なばかりでもない、

もちろん美しいものや夢みたいなものも愛してる

同じ様に歪んだ音やディストーション、狂ったものやおかしいものも愛してる。

そんなとこを、もうわけたくない。


ずっとやってきたこと、ミッシング箱庭、

それを私は自分の音楽を聴いてくれている人たちに、

どう紹介していいかわからなくて、

なんとなくずっと曖昧にしているうちに、大柴君が居なくなってしまった。

ミッシング箱庭はわけがわからない部分がある、わからなくていい。

わからないということをそのまま感じてもらえたらよかっただけだったのに

わからないとかんじてもらうことをおそれてしまっていたこと。

もっともっと大柴君がどうしたって型にはまってくれないことを認めながら

私はそのままミッシング箱庭の魅力を外に伝えれば良かったって、

ずっと後悔してる。

木村さんとふたりでやるミッシングも、そんな言葉にできないわけわかんなさを

やるたびに確認しながら続いてきました。

それを少しだけ、

私の音楽を好きで居てくれる人にも見てほしいと思っています。


そして実は木村さんと私は13年前、

「いろり」っていうユニットを組んでいて、

日本ロックフェスというお祭でライヴした事があります。

そのとき、いろりを燃やそうといって、ライブ中に火鉢に紙をいれて

火をつけたら燃え上がっって慌てたり、

私がギターを弾いて木村さんがうたをうたったり、

すごくすごく楽しかった。忘れられないライヴ。

そのとき、実は私たちの次に出演されたのがパラガこと豊田さんでした。

木村さんはその頃から豊田さんのファンで、豊田さんがブログに、

「ライヴ押しててむかつきそうだったけどいいライヴだったから許す」

みたいなこと書いてたよ、って

あの頃嬉しそうに言っていたのを覚えています。

13年後にまた豊田さんの前座を二人でやるなんてね、

自分で設定したといえ、不思議だなぁ。


最後に冷牟田敬さんのこと。

8年前にparadiseというバンドでベースをやっていたことがある。

たった半年くらいだったけど、月に何本もライヴをやって、

ツアーで大阪京都神戸を回ったり、週に二回も練習をしていたから、

物凄くはっきりとあのときのいろんなことを覚えてる。

自分の事情でやめることになったけど、paradiseの音楽はずっと好きで、

バンドをやめてからもずっとライヴを見に行っていた。

でもparadiseのライヴで一度ボーカルのこうたと取っ組み合いになってから

一切ライヴにいかなくなってしまった。

亡くなったばかりだった友達のアイザワ君とこうたを重ねてしまって

生き急ぐアウトサイダーみたいなこうたの姿が見ていられなかった。


昨年解散して、その最後のライヴだけは見に行けた。本当に良かった。

paradiseをやっていたことも、自分の中で忘れようとしていたとこがある。

だけど、素晴らしいバンドであった事は、自分が良く知ってる。

ほんの少しの間でもあの中に居て音を鳴らしてた事は自分の財産だと思う。

あのときステージで感じてた事、音の重なり、本当は忘れてない。

そして冷牟田君はparadiseをちゃんと終わらせて、

どんどんソロライヴをし始めた。

冷牟田君のギターは初めて見た頃からなにも変わらない。

いつ見ても目映い煌めきがある。

そして貫く意志が音になったような一本の確かな線がある。


先ほど最初に書いた、8月末の阿佐ヶ谷天のライヴにも

冷牟田君がソロで出ていた。

そのときのライヴがあんまり素晴らしく、泣いてしまった。

終わってから、またなにか一緒にやろう!と興奮して声をかけた。

でも、冷牟田君は今また本気でバンドを組んでいて、

自分は彼の音楽でなにもすることはできない、

自然に、今度自分のソロでギター弾いてもらえたらと言う話になっていた。

豊田さんを呼ぶなら、その時冷牟田君に一緒に弾いてもらうのが1番自然で、

頭で決めるより先にちょうど会ったので声をかけていました。


先日二人でスタジオにはいったのだけど、やっぱり胸に刺さるようなギター

歌が負けちゃうようなギターを練習でもどんどん弾いて来てくれる。

とても繊細で、でも煌めく星がどんどん生まれてくるような力強いギター。

練習でも、ものすごい大音量を出してくれて、

ちょっとやりすぎかも、、とか言ったけど、別にいいとも思った。

冷牟田君の感性を信じてるので、もし出したいと思えば

出してくれたらいいと思っています。歌がかき消えたって別に構わない

聴いている人はどう想うかわからないけど。

そんなわけで、今回のライヴ、

静かだけど静かでなく大音量のところもあるかもしれません

私も冷牟田君と一緒にするときはエレキで臨むつもりです。


場所は渋谷の7thfroor。初めてライヴします。

だけど大柴君が居たミッシング箱庭の事も少し知って下さっている、

元池袋ミュージックオルグのミヤジさんが今働いていて、

色々協力してもらって、とってもこころづよいです。

FMNの石橋さん、平澤さんも協力して下さっています。


そして今回のチラシも、平沼君の写真をつかって、

yamasin(g)さんがつくってくださいました。

ちょっと顔が変だけど(笑)、

それでも前向きな感じがするこの写真を選びました。

裏面も物凄く気に入っています。

ミッシングいろり箱庭のところには、

大柴君もうつってる写真をつかわせてもらいました。

三人の写真がないから、木村さんと大柴君の写真を。


『うた、かぜ、ひずみ』のhizumiは、

全部の意味がアイザワ君ではないけれど、

hizumiは今は居ないアイザワ君がやっていたバンドの名前でもある。

自分にとって決して忘れない人たち。その人達と過ごした時間。

けしていいことだけじゃなかったけど。

「あの頃のこと」っていう曲にはそんな全部が入ってる。


音楽やっている以上、生きてる以上、変化していくのが常で、

だけどずっと後ろも見ながら私は進んでいきたい。

忘れちゃ行けない事と変わっていきたい事、挑戦。

そんな過去と今と未来を全部いっしょくたにしたい今回のライヴです。

自分にとって既に物凄く大切な一夜です

見届けて下さったら嬉しいです。

そして私が大好きな、ミッシング箱庭、豊田さん、冷牟田君の音楽を、

自分の事を気にして下さっているみんなに見てほしいって心から思います。

色々重い事言いましたが、

実際はきっととても軽やかな夜にもなる気がしています。

いい夜にします。どうぞ気軽に遊びに来て下さい。


ものすごく長くなってしまったけれど、夏から、

大柴君が居なくなってから、

物凄く昔の12年前くらいの話から、の

心の一連の流れからこのレコード、そしてこのライヴに至るまでを、

やっと書けたきがします。

物凄く長くなってしまってごめんなさい、

読んで下さって本当にありがとうございました。


早朝7:40!!

穂高亜希子

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穂高亜希子7インチ「あの頃のこと/風、青空」

発売記念ライヴ 『うた、かぜ、ひずみ』

1月26日(火) 渋谷 7th FLOOR

出演:穂高亜希子 (ゲスト: 冷牟田敬)

   豊田道倫

   オープニングアクト:ミッシングいろり箱庭

開場:19:00開演:19:30

料金:前売り2500円 /当日2800円(D別)


メール予約は、info@fmn.toまで、

件名に「1/26穂高予約」と書いてお名前(カナ)、

人数、電話番号をお書き添えください。

電話予約は03-3462-4466 7thfroorまでお願い致します。