アニメに偏見を持っていた青年が、アニメに勇気をもらい、新しい一歩を踏み出した話

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アニメが嫌いだった子どものころ

小さい頃、ヒーローものの番組が嫌いだった。戦隊ものや、ヒーローものは、全て暴力で解決する。それが嫌で仕方がなかった。幼稚園の頃は、周りに話題を合わせるために見ていたけれど、小学校に上がって、クラスの話題から外れるようになってからは、全く見なくなった。
私は単純なものが嫌いだった。だから、特に、日常を描いたアニメが嫌いだった。日曜の夕方は地獄のように退屈な時間を過ごした。
私には2つ下の妹と5つ下の弟がいる。妹も弟も、ヒーローものはあまり好きではなかったが、アニメは好きだった。だから、うちのテレビではアニメがよく流れていた。当時から臆病だった私は、まだこの歳になってもアニメを見てるなんて、とバカにされたくなかった。だから、アニメを見ることは恥ずかしい、と思っていた。家でも、自分は興味ないよと意地を張っていた。今思えば、アニメやオタクへの偏見や差別の意識はこの頃に芽生えたんだと思う。

再びアニメに向き合う

小中高と、ジャンプ黄金期が到来していて、周りのみんなが読んでいた。だけど、私は、雑誌を立ち読みするという*2行為に抵抗があったし、お金に厳しい家庭だったので雑誌を買うことができなかった。だから、漫画の話題にはついていけなかった。この時の淋しい思いを二度としたくないから、みんなの話題に合わせるために何かをするぞ、という、後ろ向きな好奇心が芽生えた。

大学生となった私は、情報工学科に進んだ。共学の男女比5:5の世界から、9:1の世界に踏みこんだ。この学科には、やはりというか、数多くのオタクが存在していて、私は、彼らを心の奥で軽蔑した。小さい頃から、アニメを批判する人はいても、アニメを肯定する人には出会わなかったという経験に大きく影響されている。そんな環境でもしアニメが好きだと言えば、卒業するまでオタクキャラ扱いされるだろう。そんな恐怖に縛られていた。だから、オタクっぽさを隠そうともせず全開にしているような人を避け、運動部で活躍していそうな人達の輪に、積極的に飛び込んでいった。

私は、そういう活発で人付き合いの上手い人を尊敬していた。彼らと一緒に過ごすと、毎日が新鮮だし、充実しているように思えた。私自身,運動系のサークルもかけもちしたりして、忙しい日々をおくっていた。サークルで、所属は情報工学科です。と自己紹介すると、「へー、見えないね」と云われる。それがとても嬉しかった。そうやって、情報工学科の中でも、アニメとは無縁であるように立ち振る舞った。(ちなみに、ファッションにまったく興味がなくて気を使っていなかったので、外から見ればただのオタクに見えたのだと思う)

しかし、環境がかわると、周りの人たちも変化しはじめる。私は仲の良かった友達とは別の研究室を選んだ。私の研究室は、半分くらいの人が、日常的に最新のアニメを見る人だったが、オープンにしている人がいなかったので、みんながアニメを観ていることに私は気付かなかった。一方で、別の研究室へ行った仲の良かった友達は、その研究室の強烈な先輩や同期の影響を受けて、アニメを見るようになっていた。まさか彼らがそんなものを楽しむのか、と驚いたが、彼らは、よいものはよい、とはっきりいう人で、それがまた気持ちよく,かっこよかった。この時,わたしの中にあったアニメへの偏見が崩れた。

将来のための勉強をしようと張り切る私は、勉強のためにプログラミングサークルに入った。やはりというか、なんというか、そこには"ホンモノ"が揃っていて、普段の会話も、私にとって宇宙語だった。彼らの会話に入れなかったし、彼らも、わからない私を残念に思った。けれど、先輩たちはそんな私を気にかけてくれて、育ててくれようとした。その頃の私は、アニメに対する嫌悪感は拭いさることは出来なかったけれど、食わず嫌いというものが嫌いで、自分自身がそうなっていることが嫌だった。だから、実際に見てみて、それで改めて判断するいい機会だと思った。

2007年の夏のことだ。それで、友人宅で「涼宮ハルヒの憂鬱」を見ることとなった。先輩云わく,まず最初はこれ、らしい。ハルヒは、ニコニコ動画のMAD素材やAAの元ネタとしてよく見かけたりするので、予備知識として知っていてもよいかな、ぐらいに思って見る気になった。「どの順番で見ようか?」と先輩たちが、議論していたりして、何のこっちゃとか思ったりしているうちに、「朝比奈ミクルの冒険 Episode00」が始まった。画面にはいかにも現実離れしたキャラクター"朝比奈みくる"がいる。オロオロしながら立っている。ほえほえ言いながらウロウロしている。これが皆の絶賛するハルヒなのか。何が面白いのかさっぱりだ。けれど、先輩が指摘した。「学生が撮影した手作り映画のような、妙に凝った演出がある」確かに。*3アニメなのに,そんなディティールにこだわっているのが、面白いと思った。私は、人の感情とか、雰囲気とかよりも、技術やギミックに惹かれる。そんな私は、細部にわたるクオリティの高さ、に、小さな頃に見たアニメと、大人まで面白がる、このアニメとの違いを感じた。

第2話からは一転し、普通の学園物語、が始まった。ちょっとかわったところといえば、どの女子も見た感じがかわいくて、だけどどこかちょっと非現実的な抜けているところが用意されていることか。そういう作られたもの*4がちょっと気になった。女性の胸やふとももやお尻を、わざとよく見えるようなアングルにするところもわざとらしくって好きではなかった。そんな子どもじみた真似で大人を喜ばそうとするのが嫌だし、それで喜ぶ男達も嫌だ。けれど、そんなことは些細なことで、物語が進むにつれ、話の面白さに引き込まれた。時系列がバラバラなので、世界観は見えない。けれど、隣りの先輩がところどころ、良いタイミングでヒントを出してくれたりする。これが楽しい。ニコニコ動画の字幕の楽しさに似た楽しさ*5、いや、こっちのほうが遥かに楽しい。そうやって、うまくヒントを散らしてくれて、また飽きさせないように様々な工夫をしてくれた。そんな環境もあり、私はついに、最終話まで楽しく観ることができたのだ。

私はアニメに対して、こんなにも頭を使わせられるとは思わなかった。けれど、こんなにも頭を使えるアニメがあることが、大きな発見だった。そして、やはり私は、アニメを食わず嫌いしていただけだった。ところで、アニメに対しては、偏見をあらためることになったのだが、私は日常的に見ることはなかった。話題を合わせるために、ちょっと見ていたくらいだ。頻繁に聖地巡礼に行く機会があったので、その元ネタのアニメを観たのと、NHKという安心感と、題材の興味深さから、電脳コイルを観たくらいだ。

アニメからもらったもの

私は、先輩を尊敬していた。プログラミングの技術力も、並外れたものがあったけれど、その行動力、特に行動の早さや積極性は、自分にないもので、憧れる部分もあった。いわゆるアクティブなオタクというやつで、コミュニケーションを怖がることはないけど、空気が読めなかったり周りの目を気にしないという系統の人だった。そういう部分はちょっと苦手だったけど、得られるものも大きいと思い、一緒に過ごすようにした。

今年の3月に、先輩達は皆卒業した。自分が最高学年となった。これからは集団を率いる立場でいなければならない。そんなことが出来るのだろうか。先輩達がやっていたようにできるのだろうか…。なんとか気を張ってやっていたが、自分の本質に背くことなので、疲れもたまる。慣れてくると、手を抜きたくなる。そんな時、ハルヒの新シリーズがスタートした。

久しぶりにハルヒを観た。YouTubeで観た。そこには、かつてと同じ女の子が元気一杯に声を張り上げ、我侭かつエネルギッシュにやりたい放題やっていた。やはり、こういう娘とはあまり馴染めないなあとか思っていた。が、ふと気付いた。そういえば、先輩のやり方もこんな感じだったな…。唐突にやることを決められて、振り回されていた自分を思い出した。けれど、彼がいなければ何も始まらない、皆がそう思っていて、そこには欠かせない存在だったのも確かだった。ハルヒの我侭さも、今のうちの集団に必要なんじゃないだろうか。周りの顔ばかりうかがって何も出来ない私にとって、彼女の立ち振舞いと、先輩の立ち振舞いは重なって見えたし、学ぶ必要があると思った。私はハルヒに倣い、新たなプロジェクトを皆に提案した。

再配分

ハルヒにも先輩にも共通する力がある。それは、周りを巻き込むパワーだ。情報工学科の学生というのは、どこか行く先が決まってなくて、何かやりたいけれどどうすればよいのかわからないという学生が多い。私自身もそんな学生の一人で、だから、このサークルの門を叩いたのだった。今度は、私が皆を率いる番だ。積極的に提案し、また、皆のモチベーション管理も意識した。そうやって、皆に目標を持ってもらい、苦労と楽しさを提供することで、ここに集まる意義を求めた。

それから、かつての自分のような、消極的で割とおとなしい子がいるのだけれど、その子には集団での立ち位置を自分で見付けてほしいと思っている。で、明らかにコミュニケーション志向が低いので、こちらから接するようにしているのだけれど、そういう時も、ハルヒのようにちょっと強引であつかましいように演じて、こうやってやることも恥ずかしくないよ、と、私がやっているのだから、みんなにやっても平気だよ、と、そんな姿を見せるようにしている。こうやって、ハルヒや先輩からもらったパワーを、私を経由して、後輩へと与えているのだ。

アニメに背中を押してもらう

さきほど、今季話題となった「けいおん!」を観た。1話と2話を観た。律の、強引に立ち振る舞って、周りの人を巻き込む能力が、ハルヒや先輩を連想させた。そして、私はまた律からパワーをもらった。

私は、部屋の隅に立てかけてある、ギターの埃の指ですくった。
よし、次にやることを決めたぞ!

*6

アニメをどう評価してもらいたいのか。

アニメは気持ちが悪いものだと、大半の人には思わている.それが事実だ。私はその中のひとりだった。世の中のアニメ好きは皆にどう思われたいのだろう。今のまま、自分たちだけの快適なコミュニティーを保って、こっそりやっていきたいのだろうか。世の中の,アニメをよく知らない人に、そうやって軽蔑の眼差しを受けても平気なら、そのままでいいだろう。けれど、自分の好きなアニメガ、もっともっとよい評価を得たいなら別だ。アニメ自体には、優れたコンテンツとしての素養が充分にある。どちらかというと、妨げになっているのは、とりまきの気持ち悪さだ。それは、熱狂的なアイドルや韓流ファンの気持ち悪さに通じるものがある。
もし、アニメの評価を上げたいのなら、まずは、皆に尊敬される人間になろう。ガンダム芸人というのがクローズアップされているが、他にもキムタクやTOKIOだったり、初期の頃のガンダムは、少年の心を持ち続けた、かっこいい大人の愛するものとして、非常にイメージがよい。エヴァンゲリオンもそうだ。「好きな人、尊敬する人が好むものは、素敵なものだ。」非常にクオリティが高いのに、正当な評価を受けない作品も、とりまきが素敵な人間であるならば、もっとよりよい評価がなされるだろう。*7

*1:6月に書いた,ちょっと古い記事です

*2:社会的モラルの低い行為だと当時は思っていた

*3:今おもえば失礼だが

*4:作り手側が,こういう部分萌えるんだろ?って強要している感じ

*5:ゲーム実況動画なんかは、友達の家で友達のゲームプレイをみんなで眺めている楽しさに近いよね

*6:ちなみに、アニメでやってることが現実でもまんま通用するとは信じていない。実際には、背中を後押ししてもらいながら、常識的な振舞いでやっているというかんじ。

*7:一方で、違いのわかる、俺カッコイイという廚二病的な要素や、深夜番組がゴールデンに進出するとつまらなくなるという現状維持が一番派、のような意見もわかる。