男女論と部落問題について(2)

前回の三人寄れば文殊の知恵 - Backlash to 1984の続きである。さて、いわゆる「弱者男性」について先に少しだけ述べておきたい。この言葉はアンチを含むフェミ界隈でしか見聞きしないのだが、妙な言葉が出てくるものだと思う。おそらくは「男は社会的強者、女は社会的弱者」なる例のアレから、「しかし社会的弱者の男性もでてきたし社会的強者としての女もでてきた」としての表現であろう。私は、このような表現の前提である男女観を有しない。ある男もしくは女が、何らかの理由で弱者の立場におかれることはあるだろう。そうした社会的な弱者というものは存在するが、「男」なり「女」なりが、ただそのカテゴリーでもって弱者であるといったことはないのだから。フェミニズムにおけるジェンダー論というのは、あたかも「女」であることが弱者の初期条件となっているかにも思えるものが多いが、そのようなことはありえない。このことについては後でも触れることとするが、「男は強く女は弱い。強い男は弱い女を守るべし。男が守りたくなくなるような女は女たりえず、女を守れないような男は男たりえない」という近代市民社会にありがちなマッチョなコードは存在したろう。しかし「男は社会的強者、女は社会的弱者」なるフェミコードは、そうした近代市民原理へのアンチでありつつ、それに寄りかかった男女観でしかないのである。

続きを読む