鶴屋邸のモデルはどこに?

6日ぶりの更新!舞台の変貌シリーズは準備中。

第23話「涼宮ハルヒの溜息Ⅳ」で登場した鶴屋邸。


酒蔵のような外観なので、とりあえず西宮の酒蔵通りを探してみましたが…

2009年11月3日撮影
西宮市鞍掛町の「白鷹禄水苑」。一番似ていてこの程度です。
昔からあるような佇まいですが、「かつてこの地にあった白鷹の蔵元、辰馬家の住居をイメージ再現した建物」らしいです。「戦前までの灘の造り酒屋の多くは、蔵元の住居と酒蔵が地続きになっている「内蔵形式」で建てられていました。」というのが参考になります。


引きで。


2009年9月13日撮影
西宮市のお隣、伊丹市宮ノ前の「旧石橋家住宅」。白鷹禄水苑よりは似ていますが、まだ異なる部分が多いです。酒蔵では無く、江戸時代後期に建てられた商家。


屋根の出っ張った部分の構造の名称が分かれば手がかりになるかも。


反対側から。奥には旧岡田家酒蔵があります。

●原作から見る鶴屋邸
とりあえずアニメは置いといて、原作の視点から考えてみましょう。ぎをらむさんの受け売りですがw

門から見て取れないほど遠くに家屋があるということは、そこまで相当な距離があるということで、ついでに左右を見回してみるとどこの武家屋敷かと思うほどの塀が遠近法に従って延々と続いていた。どんな悪いことをすればこんな余分な土地を持つ家に住めるのだろう。

原作「涼宮ハルヒの溜息」より。古泉は「なかなか古風な旧家ですね。(以下略)」とコメント。

鶴屋さんの名前の由来は、甲陽園に大正時代から少なくとも1997年頃まであったという、高級料理旅館「つる家」で間違いないでしょう。

甲陽園日之出町6、甲陽園駅の北東300mぐらいの場所だそうで、今は跡地にマンションが建っています。詳しくは後天性無気力症候群 2006-6-9 鶴屋邸のモデルか?〜甲陽園つる家 を参照。


大きな敷地に風流な建物、庭園があり、全盛期は阪神間を代表する店で谷崎潤一郎の「細雪」に「芝居は鴈治郎、料理は播半かつるや」と名前が出るとか。

原作「涼宮ハルヒの陰謀」では鶴屋山(鶴屋家の私有地、モデルは甲山)の宝の在り処の目印かのように、「ひょうたん形の石」が登場します。甲山大師道沿いの甲陽園東山町に、つる家と並ぶ高級料理旅館「はり半」(播半)が2005年6月まで営業していました。跡地にはマンションが建設予定で、反対運動が盛んです。


2006年9月25日撮影
はり半の駐車場の看板。逆さまのひょうたん、通称「箪瓢(たんひょう)」がはり半の商標で、はり半自体別名「箪瓢菴」と呼ばれていたそうです。はり半は1927(昭和2)年の開業。この看板と左の地蔵尊は現存しません。 子安地蔵尊についてのお知らせ


はり半跡、以下2009年6月6日撮影。2008年から解体工事が始まりましたが、それ以前に外観の写真を撮っていませんでした…。工事前の写真ははり半の自然を残そう!参照。尋常でないほど敷地が広大です。調べた所、6000坪とか!

11月9日追記:はり半の由緒ある門や一部の建物は、今年6月13日に開村した兵庫県丹波市山南町牟三荘(むさんそう)芸術村に移築されたそうです。
神戸新聞2009年6月14日 材木商男性、古民家活用し「芸術村」 丹波・山南  web魚拓照明傘や扁額はヤフオクに出された形跡あり。

 はり半は「甲陽園つる家」とともに阪神地区を代表する料亭だったそうなので、案外、すでにない「つる家」の代わりにここが「鶴屋邸」のモデルになっているのかも知れません。

とぎをらむさんは推測しています。詳しくは後天性無気力症候群 2006-8-7 鶴屋山登山記-番外編-ひょうたん形の石はどこだ参照

「溜息」で鶴屋邸への道は坂ばかりとあるので坂に関しては合います。大池(原作でみくるが落とされるは新池でなくて大池だと思う)から歩くにはきついなあ。

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はり半跡から甲山大師道を下った所にある「箪瓢橋(たんひょうはし)」


欄干にひょうたんの浮彫があります。「ひょうたん形の石」と言えなくもない。
はり半跡の近くに貼られていたはり半の女将、乾御代子(1987年没)著「御代女おぼえがき」の抜粋によれば、箪瓢橋ははり半が開店にあたって造ったそうです。という事は80年以上前からある橋なんですね。


谷川流さんがはり半と箪瓢橋橋を知っていた可能性は高いですが、本当に「ひょうたん形」の石と関係あるのかは谷川さん以外には分かりません。


オマケ:後天性無気力症候群2008-2-11 鶴屋山でひょうたん石を作りました
ぎをらむさん良くやるなあwww


追記:12月になって魔太郎さんによって特定されました。
【ハルヒ】鶴屋邸の外観のモデルを発見 - きーぼー堂