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2013-02-04

待機児童数をゼロに導いた横浜市長 林文子さん

横浜市保育所の待機児童数ワーストだったところ、林市長が就任してからわずか三年で待機児童数0達成の見込みだという。以下がその記事である。

全文表示 | 「待機児童問題」自治体で明暗 横浜市「ゼロ間近」でも大阪市は「大幅増」 : J-CASTニュース

待機児童数の問題は色々な自治体が頭を悩ませており、このようなロールモデルができると他の地域でも待機児童が減っていくかもしれない。

そもそも、待機児童数の問題は実はマクロ的にみると日本経済に大きな影響を及ぼしている。子供を安心して預けられる環境にないということは、女性の社会進出を阻み女性労働力の潜在的減少によりGDPが低下する。また、このような環境であると子供を安心して育てることが出来ないため、出生率にも影響し、この問題が出生率低下に拍車をかけて日本経済少子高齢化に導き、経済を減退させていく。要するに、保育所の待機児童数が存在するということは将来の労働力たる子供が増えないということと女性の労働力の抑制に寄与しているのだ。

そんな大きな問題を解決したのは、元ダイエー会長兼CEO、元BMW東京社長の林文子氏だ。彼女は31歳にして、自動車のセールスのキャリアをスタートさせた。その後、持ち前のがむしゃらさとおもてなしのこころでトップセールスとなり、多々の企業(主に自動車販売会社)のトップを歴任した。そもそも、キャリアのスタートは東レであった。彼女は、成績も優秀で、高卒で名門の東レ入社した。実家が裕福でもなかったこともあり、彼女は憧れのOLさんとなり、バリバリ働く気であった。しかし、入社してからの仕事というのは業務の補助的なことばかりで、お茶くみや男性職員の机の整理などであった。女性社員は20代で寿退社するという時代であったし、会社は結婚相手を探す重要な場でもあった。しかし、彼女はそのような環境を満足できずに、今度はパナソニックの部長秘書という職を見つける。彼女は、そこで夫と知り合い結婚することとなる。その後、交際がバレてしまい、夢の部長秘書もおじゃんになってしまった。結局、その後は色々な会社で働くも、天職を見定められないでいたのだった。

そして、ついに天職を見つける。それは、自動車ディーラーの職であった。ある日、林夫妻は1台の車を購入することになった。その販売を担うディーラートップセールスであるらしい。しかし、そのディーラーは大してサービス精神も良くないし、この人がトップセールスになれるのなら自分もセールスができるのではないかと思ってしまった。思い立ったが吉日、彼女は近所のホンダの販売会社の販売員募集の広告を見つけ、電話をかける。しかし、そのころのディーラーというのは男の仕事であり、女性は雇ったことがないからと断られてしまった。しかし、林さんは負けずに、自分のやる気を訴える。すると、なんと販売会社の社長も折れたのかダメで元々だと3ヶ月の試用で採用されることになった。何しろ、女性のディーラーが全くいない時代であったので、全国のディーラーが集まる泊まりがけの研修も、研修所は男ばかりだから入れられないとホンダ本社に断られ、社長から直々に研修を受けるという始末であった。しかし、この社長の研修はひとつ些細であるが大切なことを教えてくれた、「車が売れたらね、お客さんに一番いい気分で乗ってもらうために、こうやって念入りにピカピカに洗車して納品するんだよ」と。この言葉は、彼女の販売スタイルにおける「おもてなしの精神」のきっかけとなった。

彼女は最初は飛び込み営業を行なっていたが、成績が良いのでそのうちショールームにも入れてもらえるようになった。飛び込み営業で培った客を選り好みしないという姿勢は、懇意にしているが買うつもりのないお客さんが、ホンダの車を買おうとしている友人を紹介してくれるというような良い流れを導いて、彼女の営業成績は上がっていった。世の中どこにチャンスがあるかわからない。できうるかぎり、全方位にチャンスの種を撒いていた彼女は強かであった。そして、彼女は瞬く間にトップセールスとなり支店長も任されるようになったが、過労がたたり体を悪くしてしまった。それに、仕事に全精力を注いだせいか夫婦仲もよろしくなくなってしまい、彼女は少しは休暇が取りやすそうな外資系の会社に転職することにした。また、高級車を販売してみたいという思いもあったようだ。その会社がBMWである。彼女は、BMW履歴書と何枚ものアピール文を同封して送り、何とか採用された。その後は、BMWでは平社員に戻ってしまったもののすぐにトップセールスとなり、当時販売が低迷していたBMW東京は彼女の頑張りに奮起されてか、他のディーラーの成績も良くなっていった。そして、彼女は着実にステップを登り、BMWでも支店長となり不振に陥っている支店を次々に立て直していった。そして、彼女はヘッドハンティングされ、ついにフォルクスワーゲン東京の社長となった。

フォルクスワーゲン東京も当時、販売不振の状態であった。しかし、彼女がまずやったことはショールームの営業時間を短縮することであった。これには反対する社員もいたが、自分の余暇生活を楽しめないで、高級車を買うような余裕のある人達に売れるわけがないという考えがあった。そして、このことやショールームの改善などにより、フォルクスワーゲン東京の業績は改善されていった。営業成績を上げるためにワーク・ライフ・バランスを考えるというのは逆行しているようでそうではなかったのだ。そして、彼女はその後、BMW東京ダイエー、日産自動車などで経営者としてを渡り歩き、ついにたどり着いたのが横浜市長であった。

随分長くなってしまったが、彼女の「おもてなしの精神」という営業スタイルはなんとも逆説的だが、非常に効果が高い。色んなものの販売に言えることだが、商品の良い部分だとかをとにかく押し付けてくるような販売方法が多いなかで、良くしてもらったしどうせ買うならこの人から買おうという気持ちにさせる営業スタイルはなんともありがたいことだ。また、このおもてなしの精神が横浜市民の生活環境改善の実行力を高めているのだろう。

参考文献

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