昭和9年4月より、渋谷大和田町の「いとう旅館」にて催された句会。久保田万太郎を宗匠に、万太郎人脈に連なる作家、編集者、画家、俳人、俳優、実業家らが参会し、句会というより文壇サロンの色合いが濃かった。
同人には、久米正雄、高田保、徳川夢声、渋沢秀雄、川口松太郎、堀内敬三、森岩雄、佐佐木茂索、宮田重雄、内田誠、秦豊吉、五所平之助、小島政二郎、大場白水郎、伊志井寛、小絲源太郎、鴨下晁湖、槇金一、寺田栄一、西村晋一、三溝又三が名を連ね、富安風生、水原秋桜子、中村汀女、獅子文六、永井龍男、車谷弘、柳永二郎、籾山梓月、小寺健吉、安住敦、戸板康二らもたびたび参加した。
名の由来となった「いとう旅館」は戦災で消失し、会場は田園調布にある渋沢秀雄邸に変更。『いとう句藻』(私家版、昭和11年7月)、『いとう句会壬午集』(私家版、昭和18年5月)、『句集・いとう句会』(いとう書房、昭和23年10月)、『いとう句会随筆集・じふろくささげ』(黄揚書房、昭和23年2月)など句集や随筆集も少なくない。昭和38年に要である万太郎が急逝し、同人も相次いで物故。昭和40年代には、その歴史に幕を閉じた。