京都で活動する『即興的演劇的行為集団』。
だいたい年に2回ほど行動している。6〜7月頃と、年末の行動が多い。
『即興的演劇的行為集団』が表わす通り、脚本は存在せず、エチュード(即興劇)で作品を組み立てる。
原始、芝居はやみいちであったやみいちは芝居のようなものをする。
やみいちがするものは、全て、即興に基づいている。この点において、一般的な芝居とは少し趣が異なる。
やみいちは役者のための芝居である。自分の台詞は自分で作る。それがやみいちだ。脚本はない。役柄に関する最低限の約束事があるだけだ。練習において、相手の台詞に返す形で自分の台詞/役柄を作っていく。演出もない。お互いの動き/ネタふり/困惑がそのまま演出となるのだ。
元来芝居というのはそういうものであったのではないのか。
今こそ、我々は叫ぶ。お前らだんどりつけすぎだぜ。
約束事をどこまで守るか、は各人の仁義/義侠心に任されている。だからやみいちのメンバーは皆義人だ。
まるで梁山泊のようだ。
そんな義人が集まって作り上げたものなのに、何故毎度毎度これほどまでにくだらないのか、とあなたは不思議に思うかもしれない。それには、こう答えよう。
梁山泊的存在/行動は、所詮、喜劇にしかなり得ないものなのだ、と。(オチをさがしている/考えているあなたは既にやみいち的/梁山泊的ではないな。)
やみいちとは? より引用