スマートフォン用の表示で見る

アイロニズム

一般

アイロニズム

あいろにずむ

ironism


「自分の無知」を盾にして、「知ったかぶりをする相手の無知をさらけ出す」皮肉。批判・対抗行為。

自分の批判対象の主張を徹底的に賛美、賛同してみせ、その論理を押し進めることによって、その愚劣さを浮き彫りにさせるという批判の言い回し。

パロディ(批判、風刺目的の模倣)と併用することでもよく使われる。

アイロニー手法を用いた能動的な批判的、批評的態度の表現


以下現代思想の用法

60年代連合赤軍事件を一つの象徴として、近代的な反省の極点となる「総括」、形式化されたことによって「死ぬ(殺される)」あるいは「ゾンビ」として生きざるを得なくさせるまで到達してしまった「自己否定」という反省形式であったと描く。

70年代では、そのような反省を反省する「抵抗としての無反省」消費社会と結びつくことで生まれた「消費社会アイロニズム」という流れの中にあった。

しかし、80年代において、この消費社会が大衆化することで抵抗の対象そのものが否認され、「抵抗として」という部分が抜け落ちた「無反省」という反省形態へと転化する。それは、アイロニカルであることを構造化・制度化しすることによる「消費社会シニシズムへと移行であるともいえる。事態を具さに見ていく。それは、70年代的な消費社会パロディとして描いた田中康夫『なんとなく、クリスタル』の「『抵抗としての(をやめた)』無反省」から始まる。

北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』

http://www.myspace.com/kaerutobi/blog/436137562

↑を例とする「反省の反省」で「無反省」を演じることがアイロニーになる。これは観客が「反省を反省している」ということを共通理解してる場合にのみ通用する。由来が忘れ去られ「無反省」の作法のみが一般化するとこれはシニシズムになる。