Islamic Republic of Afghanistan(英)
アフガニスタンの正式国名。
政変の度に国名は変わっており、現在の名前になったのは2004年のことである。
1747年にドゥラーニー朝がパシュトゥーン族を統一し、アフガニスタンを建てた。
その後、ロシア帝国と大英帝国の角逐の場となり1880年には英保護領となった。が、1919年の第三次アフガン戦争に勝利して独立を果たす*1。
1973年にソ連の影響によるクーデターが発生して王制が廃止される。その後、1978年にはさらに共産主義者によるクーデターが発生して人民共和国となる。翌1979年にソ連軍が直接介入して首都を制圧。以後、1989年のソ連軍撤退まで、ムジャヒディンと呼ばれるゲリラとソ連軍との戦闘が続いた。
1992年にはムジャヒディンが政権を掌握するが、政権内部の分裂により崩壊。
これに乗じてパキスタンの支援を受けるタリバンが1996年にカブールを陥落させる。以後、イスラム法を厳格に適用する政権を樹立。
2001年9月11日の同時多発テロ後、アメリカ軍と北部同盟の攻撃を受けてタリバンは首都を放棄。2001年12月に暫定政権が成立し、2004年には新憲法と現カルザイ政権が成立した。が、タリバンが滅んだわけではなく、内戦は継続中である。
*1:大英帝国も手を焼く統治の困難さはungovernableとの評を生む素地となった