ピルロ からのリダイレクト リダイレクト元を編集閉じる

スマートフォン用の表示で見る

スポーツ

アンドレア・ピルロ

あんどれあぴるろ

イタリア出身の男性サッカー選手。元同国代表。Andrea Pirlo。

プロフィール

所属クラブ

プレースタイル、経歴など

中盤の底から正確無比なパスワークで試合を組み立てるイタリア代表のMF。的確な状況判断を可能とする高度な戦術眼と、広い視野から繰り出される長短正確なパス能力を有し、攻撃を演出する能力に優れた世界最高峰のレジスタである。

鋭く曲がるカーブボールや、GKの手前で微妙に変化する無回転のナックルボールなど、球種の多いプレースキックも大きな武器のひとつ。

かつてはロベルト・バッジョの後継者と謳われた攻撃的MF・セカンドトップであり、ユースレベルでは得点王も獲得していた。2000年UEFA U-21欧州選手権の決勝では2ゴールを挙げ、イタリアを優勝に大貢献。期待の若手ファンタジスタとしてビッグクラブに引き抜かれ、サッカー界での明るい未来は約束されたかのように思われた。

しかしインテルの厚い選手層の前では控えに甘んじ、レンタル先のプロビンチャとを行き来する日々が続く。2001-02シーズンに移籍したACミランでも、リバウドルイ・コスタの存在を前に出場機会は限られており、トップ下の選手としてのキャリアに影を落とし始めた。

迎えた2002-03シーズン、ロベルト・バッジョの後方でゲームメイクを担ったブレシア時代の経験を活かすために、カルロ・アンチェロッティ監督にレジスタ転向を直訴。ポジションを中盤の底に移し、中盤の底で復活を遂げた。ACミランの司令塔としてUEFAチャンピオンズリーグコッパ・イタリアの2冠達成に大貢献。ピルロを中盤の底に置いた「4−3−1−2」のシステムは、守備偏重のセリエAに大きな衝撃を与えた。

ACミランではUEFAチャンピオンズリーグで2度の優勝を果たすなど数々のタイトルに獲得に貢献した。2010-11シーズンはチームはスクデットを獲得したが、個人としては不調で出場機会も激減した。シーズン終了後、10年間所属したACミランを退団し、移籍金なしの3年契約でユヴェントスFCに移籍した。2011-12シーズンは見事に復活し、ユヴェントスFCに2002-03シーズン以来となるスクデットをもたらした。

イタリア世代別代表として、2000年と2002年のUEFA U-21欧州選手権、2000年シドニーオリンピックに出場した。2002年9月7日のアゼルバイジャン戦でイタリア代表デビューを果たすと、その後もアズーリに定着。2004年アテネオリンピックにはオーバーエイジ枠で出場し、銅メダル獲得に貢献した。UEFA欧州選手権には2004年・2008年・2012年の3大会、FIFAワールドカップには2006年・2010年の2大会に出場。2006年W杯では中盤の底から視野の広さを生かしたパスで攻撃の要となり、イタリアの4回目のW杯優勝に貢献した。