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イマヌエル・カント

一般

イマヌエル・カント

いまぬえるかんと

1724-1804。ドイツ哲学者。「インマニュエル・カント」「イマニュエル・カント」「イマヌエル・カント」と日本語表記されることもある。

1724年?4月22日

  • ドイツケーニヒスベルクに生まれた。父親は勤勉実直な馬具職人であり、母親は暖かくてしとやかな、感受性の豊かな人であったらしい。共にルターの精神にかえって敬虔な生活を送るピエティズム(敬虔主義)の熱心な信者であった。この家庭の雰囲気は後のカントの厳格主義に大きな影響を与えたと思われる。

1737年?

1746年?

  • 大学卒業の年に父親も亡くし、大学に残ることを断念。卒業と同時に、当時研究者の道を歩む人たちの一般的なコースであった家庭教師になり、以後8年間、ケーニヒスベルク近郊で家庭教師の生活を送る。

1756年

  • 晴れて母校ケーニヒスベルク大学の私講師となる。私講師(Privatdozent)というのは、聴講する学生から直接授業料をもらう一種の非常勤講師で、学生の数がそのまま収入に直結するので、教える方も真剣で、高度な内容の講義が行われた。

1770年?

  • 47歳で教授に昇進したカントはいよいよ自らの哲学体系の構想を実現すべく、著作に取り組む。完成を期すうちに10年の歳月を要してようやく出版されたのが、カントの主著と言ってもよい、かの『純粋理性批判』である。この後に書かれた『実践理性批判』(1784年)と『判断力批判』(1790年)との3つの批判書がカントの代表作とされ、カント哲学が別名「批判哲学」と呼ばれるようになった。その他に、今日でもよく知られている著作としては『啓蒙とは何か』(1784年)、『単なる理性の限界内の宗教』(1793年)、『永久平和のために』(1795年)などがある。

1804年?3月12日

  • カントは生まれ育ち一生を過ごしたケーニヒスベルクで静かにこの世を去った。享年80歳。当時としては大往生である。研究熱心なカントは高い名声を得ていたが、生涯を通して地位にはあまり恵まれなかった。しかし、彼の死に際に残した言葉は「Es ist gut!(これでよい)」という満足の言葉であったと言われる。