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インティファーダ

一般

インティファーダ

いんてぃふぁーだ

パレスチナ問題

第一次インティファーダ:西暦1987年12月9日、ガザ地区においてイスラエル人の乗ったトラックがパレスチナ人労働者の乗ったバン衝突し四人の死者を出したのをきっかけとしてパレスチナ占領地中に瞬く間に拡がった市民蜂起。 蜂起の後に党派を越えて組織された「蜂起統一民族指導部」(UNLU:the Unified National Leadership of the Uprising)と主に若者によってインティファーダは実行された。93年9月のオスロ合意の結果*、終結。パレスチナ人の死者1500人以上

武装闘争だけではなく、ゼネストや就労拒否も含む。インティファーダの結果として市民レベルでの変化としては、それまでイスラエル当局の目を恐れて語らなかった政治についての話題を公然と語るようになっていったこと。インティファーダを指導したのが既存の組織よりも、むしろ各地区の若者達によって自発的に進められたことも大きい。

パレスチナ人の石を投げ付けるという原始的な抵抗に対してイスラエル占領軍は銃の乱射で応えるという光景が欧米をはじめ全世界に報じられた。

ただし、もちろんインティファーダに関連してパレスチナ過激派がいなかったわけではない。例えば、湾岸戦争を機に収束していったインティファーダ後にハマスイスラム抵抗運動)が結成された。和平断固反対、ユダヤ国家の廃絶を主張。ガザと西岸で住民運動に携わり、失業対策と社会福祉、教育活動に専心する一方で、自爆も恐れないテロを開始。ハマスインティファーダの代表団アル・クフドとは対立関係にある。

なお“インティファーダ”とはアラビア語で「振り落とす」という意味で英語では“shake off”