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エカテリーナ2世

一般

エカテリーナ2世

えかてりーなにせい

ロシア女帝。在位1762-1796。生没年1729-1796。

ドイツ、シュテッティン(現在はポーランド領)の貴族の娘として生まれた。母方の伯父はスウェーデン王位を継承したアドルフ・フレデリク。

1745年、16歳で母方を通しての又従兄弟にあたる、ロシア皇太子ピョートルと結婚。ロシア皇太子妃となる。

1754年、一子、パーヴェル(のちのロシア皇帝パーヴェル)を出産。パーヴェルの父親は表向きは皇太子であるが、エカテリーナの当時の愛人だったサトゥルイコフとする説もある(エカテリーナ自身のほのめかしもある)。

夫とは不仲で、エカテリーナは秘密裏にグレゴリー・オルローフとの子、ボーブリンスキーを出産している。

1762年にエリザヴェータ女帝崩御し、ピョートルがピョートル3世として即位すると、エカテリーナは廃后される危険に晒された。

ピョートルはプロイセンフリードリヒ大王に心酔し、当時、有利に進めていた対プロイセン戦争を、即位すると同時に停戦に持ち込み、プロイセンに有利になるよう講和した。

これは当然、ロシア軍人の憤激をかった。

その機会を捉え、皇后エカテリーナは軍人に擁立されてクーデターを決行、皇帝ピョートル3世は捕らえられ、僅かな期間の後に暗殺された。

このようにして、皇后エカテリーナ女帝エカテリーナとなった。


女帝としての治世は34年間に及んだが、啓蒙思想に傾倒し、ロシアの近代化を促したと評される一方、農奴制は維持し、農奴に転落する人は拡大した。

政局においては巧みな運営を見せたが、晩年にはフランス革命もあり、看板だった啓蒙思想からも遠のいた。