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エリック・カントナ

スポーツ

エリック・カントナ

えりっくかんとな

Eric Cantona

フランス代表歴のある元サッカー選手

プロフィール

フルネーム : Eric Daniel Pierre Cantona (エリック・ダニエル・ピエール・カントナ

生年月日 : 1966年5月24日

出身地 : Paris (パリ、フランス)

ポジション : MF・FW

ニックネーム : King (キング)

所属クラブ

1983〜85 : AJオセール / AJ Auxerre

1985〜86 : FCマルティーグ? / FC Martigues

1986〜89 : AJオセール / AJ Auxerre

1989 : ジロンダン・ボルドー / FC Girondins de Bordeaux

1989〜90 : モンペリエHSC / Montpellier HSC

1990〜91 : オリンピック・マルセイユ / Olympique Marseille

1991 : ニーム・オリンピック? / Nîmes Olympique

1992 : リーズ・ユナイテッド / Leeds United A.F.C. (イングランド

1992〜97 : マンチェスター・ユナイテッド / Manchester United F.C. (イングランド

タイトル

1991-92 : プレミアリーグ優勝  

1992-93 : プレミアリーグ優勝

1993-94 : プレミアリーグ優勝・FAカップ優勝

1995-96 : プレミアリーグ優勝・FAカップ優勝

1996-97 : プレミアリーグ優勝

受賞歴

1993-94 : PFA最優秀選手賞

1995-96 : FWA最優秀選手賞

2003 : プレミアリーグ10年間の最優秀外国人選手賞

フランス代表歴

代表デビュー : 1987年8月12日 (東ドイツ戦)

キャップ数・得点 : 45試合・20得点

性格など

その風貌、荒れた性格とは裏腹にプレーは繊細かつ優雅。そして彼の圧倒的な存在感とカリスマ性は見る者を魅了する。1990年代以降のマンチェスター・ユナイテッド黄金時代の礎を築いた。観客相手にカンフーキックをぶちかます等、波乱に満ちた行動でも有名。

また、俳優として映画 「エリザベス」「クリクリのいた夏」に出演。

主な騒動

1987年: チームメートのGKを殴り罰金

1988年: 当時のフランス代表監督アンリ・ミシェルに暴言を吐き、フランス代表を外される。

1989年: ボールを客席に蹴り込み、ユニフォームを審判に投げつけた行為により、チームから無期限の出場停止処分を受ける。

1990年: チームメイトにスパイクを投げつけて、10日間の出場停止。

1991年サンテティエンヌ戦で審判にボールを投げつけ、3試合の出場停止処分。その事情聴取の場で出席者一人一人に 「 馬鹿者 」 と言って回り、処分が2ヶ月間に延長される。ここで一度サッカーからの引退を宣言。

1992年1月: 彼の才能を惜しんだミシェル・プラティニの尽力でシェフィールド・ウェンズデートライアルを受ける。

1992年2月: リーズ・ユナイテッドと契約。リーグ優勝に貢献。

1992年11月: 監督との不仲によりマンチェスター・ユナイテッドに移籍。

1993年エランド・ロードでのリーズ・ユナイテッド戦で、サポーターに対してつばを吐きかけ罰金UEFAカップガラタサライ戦で審判に暴言、退場。警官と諍いを起こす。UEFAからヨーロッパカップ戦4試合の出場停止処分。

1994年: アーセナル戦において、審判のヴィック・キャロウ氏を 「 ちび 」 と侮辱したとしてFAに訴えられる。その2日後、スウィンドン・タウン戦で相手チームの選手にストンピングを食らわせ退場。この2件によりThe.FAから5試合の出場停止処分。

1995年1月25日: クリスタル・パレスFC戦において、野次に激高し、客席のマシュー・ティモンズ氏にカンフーキック&パンチを見舞って退場。9月30日まで全てのフットボール活動の禁止と罰金処分。裁判にて禁錮2ヶ月の判決を受け、その代わりに120日間の社会奉仕活動を行う。

1996年: 「 カントナのカリスマ性や強い個性が、物静かで控えめなジダンの持ち味を殺しかねない 」 との理由で、1996年UEFAヨーロッパ選手権に当時のフランス代表監督エメ・ジャケジネディーヌ・ジダンを招集し、カントナは代表を外される。代表を外す事を告げる際 「 死ぬほど怖かった 」と、後にエメ・ジャケは語っている。この頃イングランド帰化

1997年: 契約期間を1年残していたにも関わらず、突然の引退発表。

1999年: 在籍5年間にグッズ等に使用された自らの名称に対する見返りがあると突然主張。120万ドルをマンチェスター・ユナイテッド側に請求。しかし 「 何も借りがあるはずはない 」 と軽くあしらわれる。

2004年: フランスのテレビ局でのトークショーにて質問の内容に激怒。インタビュアーに対し 「 このザコども! 」 とのたまい、インタビュアーを番組の終わる15分前にスタジオから逃亡させる。逃亡の理由について、インタビュアーは「 殴られるのではないかと思い、身の危険を感じた 」 と語っている。