オマル・ムフタール

社会

オマル・ムフタール

おまるむふたーる

アラビア語: عمر المختار‎、Omar Mukhtar,Omar al-Mukhtar,Omar Al Mokhtar/ウマルアル-ムフタール、オマル・アル=モホタール、オマール・ムフタール、オマル・ムフタール、オマー・ムクター、1862年 - 1931年9月16日)

リビアにおいて独立の父とされる人物。反イタリア抵抗運動の指導者。サヌーシー教団(サヌーシー派)の創設者の子で,反オスマン・トルコ運動を展開するムハンマド・アルマフディー主宰のジャグブーブの教団の修道場で,イスラム諸学を修めた。1911年オスマン帝国軍の対イタリア戦争に従軍したのを手始めに,生れ故郷キレナイカで反イタリア抵抗運動を死ぬまで続けた。26年イタリア軍のジャグブーブ占領以後,ムフタールの抵抗はゲリラ戦の形をとり,当時の記録では20ヵ月間にイタリア軍は263回の戦闘を強いられた。