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カーメネフ

一般

カーメネフ

かーめねふ

1883〜1936

ソ連政治家。本名Rosenfeld。ユダヤ系の家庭に生まれ、1901年社会民主労働党に入党。第一次ロシア革命にはボルシェヴィキとして活躍し、1908〜1914年パリ亡命1917年二月革命レーニンの「四月テーゼ」に反対、十月革命には武装蜂起に時期尚早論を唱えた。しかし、革命後全露中央執行委員会議長・モスクワソヴィエト議長などを歴任。1922年レーニンが卒中で倒れたころから、ジノヴィエフスターリンと三人組(トロイカ)を形成しトロツキー派と対立した。レーニン死後は、ブハーリン・ルイコフ?・トムスキー?と組んだスターリンが主流派を形成すると、ジノヴィエフとともにトロツキーと結んでこれと争った。1927年トロツキー派とされて除名、翌年復党を許されたが勢力を失った。1932年再除名され、1934年来のスターリン粛清の嵐のなかで、1936年8月のいわゆる「合同本部陰謀事件」で、反ソ陰謀を企てたとして、ジノヴィエフらとともに銃殺された。