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カール・ゴッチ

Karl Gotch

プロレスラー。通称「プロレスの神様」。

本名:カール・イスタス。(Karel Istaz)

リングネームの「ゴッチ」はフランク・ゴッチ?にあやかって付けられた。

1924年8月3日生まれ。ベルギーアントワープ出身。一説には西ドイツハンブルク出身。

188cm、110kg。

16歳でドイツ鉄道工夫として赴く傍らアマレスドイツヘビー級王座を獲得。

17歳の時、事故で左手の小指を失い、第二次世界大戦当時は二回もナチスに逮捕され、強制収容所に送られる。

戦後、6年連続でベルギーのレスリング国内王者(フリー&グレコ、1945−50)。

1948年ロンドン五輪ベルギー代表として出場。

その後、1951年ごろから、イギリスのビリー・ライレージム(蛇の穴)で修行。欧州各国で試合をした。

1959年カール・クラウザーの名で渡米。一躍トップレスラーの仲間入り。「原爆固め」で相手レスラーをねじ伏せていった。

1961年に初来日。翌年、AWA世界ヘビー級王座獲得。

1966年にエース外人として日本プロレスに登場。通称「ゴッチ教室」を始める。

1968年から1969年にかけて日本に滞在し、コーチとして日本プロレスの若手を指導。

1971年国際プロレスに登場。帰国後、ピエール・エマリン?の名でWWWFに進出。レネ・グレイ?と組んでWWWF世界タッグ王座を獲得。

翌年、新日本プロレスの「旗揚げオープニング・シリーズ」でアントニオ猪木に勝利。

新日黎明期のブッカーとして多くの外人レスラーを来日させ、新日からは「プロレスの神様」と称えられた。

日本人選手の愛弟子も多く、猪木、ヒロ・マツダ藤波辰巳木戸修藤原喜明前田日明船木誠勝など彼を尊敬する選手は数え切れない。旧UWF、第二次UWF藤原組最高顧問を務めた。

2006年、無我ワールド・プロレスリングの名誉顧問就任。

2007年7月29日逝去。


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