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カール・レーマン

一般

カール・レーマン

かーるれーまん

ドイツの造船技術者、貿易商人。レーマン・ハルトマン商会経営者。(1831年11月28日〜1874年4月21日)

プロイセン王国に属するオルデンブルク大公国出身。武器商人であり、日本の近代化に大きな役割を果たした。

略歴

1861年、オランダ東インド会社を通じて長崎出島に渡り、造船技術を指導。

1865年に勤めていた立神軍艦打立所が建設を前にして閉鎖し、それに先立って3年の契約期間満了に伴い、契約更新を許可されず失職。「カル・セットメン」という偽名を用いて幕府に対して異議を申し立てているが、却下されている。

その後は商人に転身、1866年10月、オスカー・ハルトマンとレーマン・ハルトマン商会を創業。

1867年1月、会津藩と撃針銃の取引のため、藩士山本覚馬や中沢帯刀とともにまだ外国人の遊歩が禁じられていた兵庫に急病と偽って上陸。

1867年6月に紀州会津両藩との取引契約履行のためプロイセンに帰国し、ビュッケブルクで銃を調達。同時に娘・オトキを渡欧させて洗礼を受けさせて自らの子との認可を受け、また故郷の学校へと預け入れている。またこの時、日本人初のドイツ留学生・小松済治が同道していおり、カール・ケッペンを紀州藩に紹介しており、後の津田出よる紀州藩の改革に益した。

1868年長崎に戻る。その後、大坂兵庫レーマン・ハルトマン商会の事務所を移転。京都の顧問になっていた覚馬と再会して協力し、弟のルドルフを覚馬に紹介した。

1873年、オルデンブルクに戻り、1874年4月21日、42歳で死去。