カラー・アンド・エルボー

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カラー・アンド・エルボー

からーあんどえるぼー

カラー・アンド・エルボーは、レスリングの方式の一つ。元はアイルランドで行なわれていたが、18世紀後半頃アメリカに持ち込まれて発展した。その名はよく知られているが、来歴には不明な点も多い。一説によれば、17世紀にはすでに確立されたスポーツで、これによって生計を立てる者も居たという。このスタイルで優れていたのは大抵の場合より小さな者で、筋力や背丈より速さと技術が重要だった。彼らは自らを「スカッフラー」と称した。

歴史と概要

このスタイルは古くはイングランド南西部のコーニッシュ・スタイルと似たルールだったと見られるが、アメリカで他のスタイルと混合した。ただしアイルランドカラー・アンド・エルボー寝技がなかったとしても、アイルランドからの入植者は寝技を含むスタイルも持ち込んでいたという。服装はあるいは半裸あるいは堅く縫ったきつめの上着を着用し、足は裸足または柔らかい靴を履いた。試合は必ず互いの肘と襟のあたりを掴んだ状態で始まる。この形がこのスタイルの基本であり、その名の由来でもある。左手で相手の右肘を、右手で相手の左襟を掴むのが一般的だが、変形もあった。

アメリカにおける変化した後期のカラー・アンド・エルボーの試合では、最初の組み手が一度解けた後はキャッチ・アズ・キャッチ・キャン(掴めるように掴んでよい)式のレスリングに移行した。メイヤー(相手の足が攻め手の頭上を越えるような投げ技)はテイクダウンのためによく使われた。グランドの攻防では、ハーフネルソングレープバイン(四肢に絡みつくような技)などが使われた。決着はより早期には両方の肩と臀部を押し付けてカウントをとる四点式のピンフォールだったが、19世紀後期には緩和され三点式になった。この頃、蹴り、噛み付き、突き、引っ掻きなどの禁止が明示された。

グラップリング・プレジデント

カラー・アンド・エルボーは、アイルランドでは普通の男性のスポーツだったが、植民地のいくつかの地域では、紳士のたしなみとされていた。後にアメリカ合衆国大統領となるジョージ・ワシントンが学んだバージニア州フレデリックスバーグのレブレンド・ジェイムズ・モーリー学校では課程の一部だった。ワシントンは18歳の時、郡あるいは州のカラー・アンド・エルボー王座を保持していたという。28年後、大陸軍を指揮しているとき、ワシントンマサチューセッツからの七人の義勇兵をフライングメイヤーで放り投げたという。またザカリー・テイラー、ウィリアム・ハワード・タフト、チェスター・A・アーサー、それにカルビン・クーリッジも、カラー・アンド・エルボーのスタイルを実践したことがある。

後世への影響

現在のフリースタイル・レスリングはランカシャー・スタイルが元になっているというが、ランカシャー・スタイルカラー・アンド・エルボーの組み合わせがその基礎であるともいう。また、この互いに肘と襟を掴む体勢は、現在のプロレスリングで一般に序盤の攻防で見られ、それは「ロックアップ」としても知られている。また、現在のプロレスリングにおける技の掛け方やリング上での動き方の慣習にもカラー・アンド・エルボーからの相当の影響があると見られる。