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カルロス・テベス

スポーツ

カルロス・テベス

かるろすてべす

カルロス・アルベルトテベス Carlos Albert Tévez

アルゼンチンのサッカー選手。1984年2月5日生。ブエノスアイレス出身。171cm 75kg。

地元ユースチームで活躍した後、1997年に名門ボカ・ジュニオールズの下部組織に加入し、2001年10月トップデビュー。2002年にリケルメバルセロナへ移籍後、背番号「10」を背負うとボカの中心選手となり、2003年リベルタドーレス杯優勝に大きな役割を果たしている。

代表としては2001年U-17世界選手権にて2得点を挙げるなどの活躍を見せ4位入賞、U-20代表としても2003年ワールドユース南米予選突破に大きく貢献する。が、本番のFIFAワールドユース選手権UAE2003のメンバーに選出されるも、怪我のため辞退。

A代表としては、本格的に始動したのはコパ・アメリカから。得意のトップではなく1.5列目からだが決定的な仕事を果たした。その後、U-23アテネオリンピック代表にも選出され、トップ中央での素晴らしい働きにより、大会の得点王となる。

スピード・テクニックにすぐれるが、その強さはすごい。とにかく倒れない。そして下半身のシャープな動きには誰もついていけない。テベスを止めるのはファウルしかないのだ。

首から下のキズは子供の頃のやけどのあと。このキズは治せるが、自分がスラム出身であることを誇りに思い、その出自を忘れないため、このままにしておくと言う。

そして、ファンには必ずサインをするというファンサービスぶり。これは自分が子供の頃、リケルメらがスラム出身の自分にもサインしてくれたことに対する感謝の気持ちから、そうしているのだという。

さらに、皇帝ベッケンバウアーのお眼鏡にかない、バイエルン・ミュンヘンへの移籍話が出たとき「せっかく憧れのボカに入れたのに、何故バイエルンに行かなきゃならないんだ?」と応えたという。そういうところがアルゼンチン国民には絶対的な人気を得る原因となっている。

A代表としては2004年7月に行われたコパ・アメリカでは惜しくも準優勝に終わったが、8月に行われたオリンピックで優勝し、自ら得点王に輝く。これをもって全世界に名を知られる存在となる。

ところが、五輪後、スラム時代からの彼女を妊娠させた上に捨て、アルゼンチンNo.1モデルと付き合ったり、古くからの代理人を解約して、代理人業はまるで素人であるモデル嬢の弟を起用したり、といったスキャンダルが多々急浮上。メディアとの関係が壊れた上に、2004-2005前期リーグの成績が芳しくなくサポーターとの関係も悪くなった。あと半年はと留任されていたが、マスコミに追われる生活に嫌気が差し、2004年末、ブラジルコリンチャンスへ自ら望んで移籍。移籍金は20億円とも言われている。2005年ブラジル全国選手権制覇に貢献した

2006年以降はイングランドプレミアリーグで活躍している。