カント体験

社会

カント体験

かんとたいけん

カント体験を経た者は、実に無数なほど多く居ることには違いなかろう(例えば劇作家・クライストに於けるいわゆる「カント危機」もまた、これはこれで一つの「カント体験」を意味しうるまさに的体験であったのだろう。)が、これは狭義には、作家であり評論家でもありまた天津さえ或る意味では革命家ですらありえた埴谷雄高が獄中(彼特有の言葉言えば「灰色の壁の中」)で出会った『純粋理性批判』のとりわけ超越論的弁証論から受けた衝撃的震撼*1を先ずは指し示すのであって、これがドストエフスキーの『悪霊』や『白痴』、『カラマーゾフの兄弟』等を初めとする諸作品の、もしこう謂って良ければ《形而上学的影響》と共に、その凡そ10年後に至って漸く作品としての形を先ずは初章という形式とその内実とに於いて成すに至った長篇小説『死霊』の原型の胚胎を条件付けたというのは、比較的にではあるが、有名な話ではある。…しかし実際には彼のこの体験の内実について、しかも彼自身の手によって語られているテキストは、その重要性に比べると、著しく少なく*2、またその内容が曖昧な韜晦を、しかも著者によって意図的に行われているとも観うる(尤もこのことが、著述家としての埴谷雄高の、余人を以っては代えがたい一大特質を構成しているものなのではあるのだろうがね。)為、論者達の間でも、未だかかる体験についての正統且つ統一的な諸見解から成るのであろうそれへの評価軸が形成せられていない――尤もその様な見解の構築が、無条件に顕揚せらるべきものであるのかどうかはよく判らんが――有り様である、とすら、言えてしまえるだろうと想われる。

*1:これについて、また、やや詳しく云うと、当初は、コミンテルンの「インプレコール」を読むためにも、また獄中といえば語学の勉強が囚われしまさに囚人達の「伝統」である、という意識の下に、つまり即ち、純粋に語学の勉強でもしようという目論見から取り寄せた「濃い鼠色のべノー・エルトマンの版」(現在ではこの版は一般には使われていないのではないか?)のイマヌエル・カント純粋理性批判』を独語原文で読み――確かに当時既に天野貞祐訳(いわゆる「天野訳」)が岩波文庫でも出ていたが、それはしかし「純理」の前半部、即ち、超越論的感性論及び、超越論的論理学の前半部たる超越論的分析論に亙っていたのみであって、後半の、依然として広範に亙る「超越論的弁証論」の諸箇所の邦訳書は、未だ未刊行の状態に留まっていたのである。――、「形而上学的転向」(立花隆)を埴谷は遂げたとされるのである。

*2:と言うのも、1949年群像」三月号発表の「何故書くか」と、1951年の「文学界」発表の「あまりに近代文学的な」(別にこの中で芥川龍之介が主題的に論じられているわけでもなければ、少しでもその名が触れられているのでもない。寧ろこの題名は、雑誌「近代文学」のみをこそ参照しているのではないか?)にしか、カントは主題的には触れられていないのである。…尤もこの見解には異論が百出しないとも限らないし(,実際それらの報知を筆者は寧ろ積極的に受容したいと願望しているのですらあるのだが)、またこういった諸点の延長線上にこそ、今後の埴谷雄高研究の主動向がその上を走破すべき軌道(レール)が設えられるべきであるとすら、筆者は考える者である。