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ギュスターヴ・モロー

アート

ギュスターヴ・モロー

ぎゅすたーぶもろー

Gustave Moreau (1826年4月6日 - 1898年4月18日)

フランス象徴主義画家。『オイディプスとスフィンクス』、『出現』などが有名。


建築家の父と音楽の素養のある母の元に生まれ、古典文学を父に与えられて育つ。アカデミー画家ピコのアトリエにて修行し国立美術学校に通うが、2度のローマ賞を逃した事で、学校を去る。

イタリアへの私費留学兼旅行(1857-1859)を経て、1864年のサロンに発表した《オイディプスとスフィンクス》にて最初の成功を納め、1866年のサロン発表作《オルフェ》でその地位を確立。当時流行していたサロメを主題とした作品《出現》を1876年のサロンに出品、そのヴァリアントを次々に発表。ユイスマンス(『さかしま』1884年)を始めとする文学者たちの賛辞を受ける。1880年を最後にサロン出品を取りやめ、愛好者たちからの注文制作を続ける。1886年には、パリとロンドンで、生前唯一個展が開かれる(ラ・フォンテーヌ『寓話』の挿絵+大型水彩画数点)。

基本的には自宅兼アトリエに篭って制作していたが、社会的な活動も行ってはいた。1884年にはオペラ座の衣装デザインの仕事を引き受け、1888年に芸術アカデミー会員になってからは89年パリ万博、93年シカゴ万博のための審査員を務める。1891年の親友エリー・ドローネーの死後は、彼の後を継いで国立美術学校の臨時講師となり、翌1892年に正式の教授となる。

自らの想像世界を丸ごと閉じ込めた美術館建設を1893年以来構想、晩年をその準備にあてる。1895年にそのための増改築を始め、胃癌に苦しむ体をおして作品の整理・修正・制作。モローの死後、金銭的な問題その他を遺言執行人であった旧友アンリ・リュップが解決し、初代館長にはルオーが就任、1905年に念願の美術館開館となった。

国立美術学校教授時代の弟子に、ルオー、マティス、マルケ、カモワンら、20世紀美術の旗手たちが多くいたことは注目に値するであろう。


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