クレメンス・クラウス

クレメンス・クラウス

(音楽)
くれめんすくらうす

Clemens Krauss(1893-1956)
ウィーン生まれ。ハプスブルク家の御落胤との説もある、20世紀中葉を代表する指揮者のひとり。
主にヨーロッパ各地の歌劇場で研鑚を積み、ウィーン国立歌劇場総監督(1929年〜1934年)、ベルリン国立歌劇場総監督(1934年〜1937年)、バイエルン国立歌劇場総監督(1937年〜1939年)などを歴任する。特に後二者は、エーリッヒ・クライバー、ハンス・クナッパーツブッシュがナチスと衝突して職を辞したのちに襲ったポストであり、クレメンス・クラウスをナチズムへの追従者であると嫌うものも少なくない。
1939年から1945年には再びウィーン国立歌劇場総監督。この間、現在に残るウィーン名物「ニューイヤーコンサート」の創設を行う(1941年)。
ドイツ敗戦後は、連合国により一時活動停止処分を食らうが、程なく活動を再開する。1953年にはヴィーランド・ワーグナーによるいわゆる「新バイロイト様式」の演出に不満でバイロイトを離れたクナや若き日のカラヤンに代わって、当地で素晴らしい『リング』と『パルジファル』の演奏を残している。
クレメンス・クラウスは、戦火で焼失したウィーン国立歌劇場が1955年に再建されることが決定すると、みたび総監督のポストを狙う。まずは有力な候補のひとりであったエーリッヒ・クライバーを追い落とすが、総監督の座に就いたのは結局、カール・ベームであった。一騎打ちに敗れたクレメンス・クラウスは、メキシコへ演奏旅行に出て、その地で客死する。享年61歳。
シュトラウス・ファミリーのワルツ録音で有名であるが、やはり彼の本領はオペラでこそ最も発揮される。リヒャルト・シュトラウスからの信頼もあつく、数々の初演指揮や、オペラ台本の執筆(『カプリッチョ』)さえ行っている。

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