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グレートゲーム

一般

グレートゲーム

ぐれーとげーむ

The Great Game(英)

19世紀から20世紀にかけて、大英帝国ロシア帝国アフガニスタン周辺を巡って繰り広げた政治的抗争のこと。

グレート・ゲーム

概略

ロシア帝国にとって、拡大こそが本能である。タタールのくびきの下に呻吟し、イワン雷帝没後の大動乱で諸外国の侵入を許した記憶を持つこの国は、強迫的な勢いで国土を拡大していた。

一方の雄、シーパワーの代表たる大英帝国にとって、インドこそがもっとも重要な植民地だった。インドは帝国の生命線であり、それを失えば大英帝国欧州の端に位置する単なる島国に戻ってしまうと帝国のエリートたちは理解していた。

ここに、英露の対決は宿命づけられた。

といっても、インドの北には世界最大の山脈が君臨しており、西にはペルシャがあった。したがって対立の焦点となったのは、アフガニスタンだった。

英国は海洋国家特有の機会主義的な方針を維持し、必要以上の軍事的なコミットメントは展開せず、経済力と威信とで勢力圏を拡大する方針を好んでいたが、ロシアの圧力に対するにそれでは不足と考えられ、アフガニスタン保護国とするべくたびたび戦争を起こして痛い目にあったりした。ともかく、1879年に英国は何とかアフガニスタン外交権を獲得して保護国とし、インドとの緩衝地帯を確保した。


ロシアは勢力拡大を目指していたが、それがインドを脅かそうとかそういう戦略的・計画的な思考に基づくものかというと怪しかった*1。ともかく、英国との直接的な軍事対決は行われなかったが、ちょっとした威信と領土をかけたチキンゲームが、アフガン周辺で繰り返された。

最終的に日露戦争のおける日本の勝利によって、英露の対決は終止符が打たれた。東方におけるロシアの拡張に歯止めがかけられた一方で、ドイツ帝国の台頭という新たな歴史的事実への対応が必要だった。

1907年8月31日、英露協商が成立した。英露両国は互いの勢力圏を確定した。アフガニスタンは中立を約され、ペルシアでは双方の勢力圏が定められた。

*1:もちろん北方の熊は常に寒い寒いと言って不凍港を欲しがっているはずだと決めつけられるのが相場だが