Global League 1969年に1年だけ存在した国際的なプロ野球リーグ。アメリカのプロモーターで、不動産業を営んでいたウォルター・ディルベックがメジャーリーグに匹敵する第三のリーグ戦を世界規模で作ろうと呼びかけて設立された。日本、アメリカ、ドミニカ共和国、ベネズエラ、プエルトリコの5ヶ国6チームが参加した。
【2008年開幕時点】 現在「99」にその座をとってかわられているが少し前まで“選手番のドン尻”だった「69」。見た目に「99」 ほど切迫感なく、スマートな印象を持つ“秘密兵器”ナンバー・・・それは99と100には“桁数が変わる”という原則的な相違があるのに対し、「69」 (より前は選手番)と「70」(より先は首脳陣番)の間に流れる“へだたり”は野球界においてのみ存在する掟で(しかも球団によっては「70」まで選手術の場合も)あるからだろう。そして松本、沢本、西岡、山岡、山崎、平川、金沢、佐藤文、羽生[はにゅう]田、竹内、草場、原田和、伊貸[いがし]、高見、竹峰、知野、榎、伴、田畑、石井、高橋、…
【2008年開幕時点】 '60年代にのちのレギュラー・種茂(在番時出場1試合)、白(在番時出場0) 、東条(在番時14試合)、菅原(在番時出場O)、阿部(在番時2登板⇒野手で開花)、にプチ頭角を現した松本(在番時出場0→通算53登板3勝)、浜崎(在番時出場0→通算43登板1勝)を続々輩出する功を揚げた「68」。ただ“灯台下[もと]”実績のため、矢面に立つ“監督”像には敵わず、残響分も含め'80年代いっぱいぐらいまで、この“監督者イメージ”が「68」の概要を象った。 勝てる戦力を「揃える」才人・根本陸、勝てる選手を「育てる」才人・西本、そして出来上がったチームを「率いる」才人・水原、に打撃技術を…
森 徹 中日の本塁打王 .282 31本 87打点 1958年プロ入り 中日(58〜61)ー大洋(62〜65)ー東京(66〜68)ー東京ドラゴンズ(69) 強打の外野手で力道山の義兄弟。東京六大学のホームランバッターとして鳴り物入りで中日に入団するといきなりレギュラーに定着。プロ1年目から23本塁打を放ったが、新人王は29本塁打の長嶋茂雄に奪われてしまった。翌年は31本87打点で2冠王を獲得しリベンジを果たした。しかし61年から監督が濃人に変わると環境が一変し大洋に移籍。大洋でも主力打者として活躍し66年にオリオンズに移籍。しかしオリオンズには濃人がいた事もあり次第に出場機会が減少し退団。翌年…