ホーレス・ケプロン 1804〜1885 明治初期に北海道開拓に活躍したお雇い外国人。 北海道開拓使顧問 グラント政権の農務局局長を努めた後、1970年、開拓次官黒田清隆の招聘で来日。1972年か1974年までまで3度北海道に渡り、地質調査によって鉱物資源を探査、全道を測量しての山林の可耕地の基本調査など開拓事業の礎を築いた。 1975年に任期を終え帰国。
正月に段ボール箱の整理をしていたら古いCD-Rが発掘され、たわいもないテキスト.txtの中にデレッキの語源について学生時代に調べたメモがあった。 実は小さい頃はテツで、とくに蒸気機関車が好きだった。その後、テツ分は増えていかなかったけれども、運転室で罐焚きに使われる火かき棒「デレッキ」が気になっていて、県立図書館で北海道の図書館等の資料を取り寄せたりインターネット検索(当時)で公式サイトや個人のサイト(当時)などを調べてメモしていたもの。 懐かしく思い、今回改めて調べてみたところ、国立国会図書館などのデジタル・アーカイブの公開資料が増えていて補足できるところもあった。現在(2024年初頭)にイ…
写真・文: イリナ・グリゴレこの物語の主人公は人間ではない。人間の玄関先に置かれた野菜の漬物、鮮やかな野菜と地球上で「ここ」でしか食べられない林檎。それらの林檎には傷がある。でも傷んでいるわけではない。果物は傷がついていても別の生き方があるから精神病にかかることはない。売り物になれない子がいるが、それはその子にとって決して悪いことではない。そのままで別の生き方を受けとめる。一方で、人間のつくった世界では完璧な果物、同じサイズと色の林檎が求められる。林檎をそのようにつくることは農家にとってとても難しい。見た目のことしか気にならない世界のために、厳しく、つぼみのときから選択が始まる。そう、果実を大…
網走監獄博物館に関する記事の続きです。明治初期政府に反乱する人々が爆発的に増えたことで囚人収容に困った明治政府は、囚人を北海道に送り込み開拓の労働力にする事を決定します。その流れで作られたうちのひとつが網走監獄です。今回は網走以外の集治監も紹介していこうと思います。
前回の記事では最後の戊辰戦争である箱館戦争が終焉するまでを見てきました。箱館戦争が終わると蝦夷地は新政府の管轄となり開拓が進められています。札幌時計台に行った記録とともに札幌の歴史を見ていきたいと思います。 前回の記事↓ rekitabi.hatenablog.com 1869( 明治2)年5月榎本武揚ら旧幕府軍は蝦夷共和国建国を夢見て明治政府軍と戦い、敗れ去りました。明治政府は旧幕府軍を倒した2ヶ月後の七月に直ちに「開拓使」を設置しました。 北海道開拓のシンボルとして札幌農学校(現在の北海道大学)の武道場が「札幌時計台」として保存されているので、行ってきました! 札幌駅と大通駅の間にありまし…