コンサドーレ札幌

コンサドーレ札幌 こんさどーれさっぽろ スポーツ

プロサッカークラブ。トップチームはJリーグ ディビジョン2(J2)所属。

通称:コンサ

由来

"道産子"を逆さ読みした"コンサド"と、"オーレ"を組み合わせた造語

一般公募によって決定。

本拠地など

本拠地(ホームタウン
北海道札幌市
ホームスタジアム
札幌ドーム
札幌厚別公園競技場
併用スタジアム
室蘭市入江運動公園陸上競技場
函館市千代台公園陸上競技場
練習グラウンド
宮の沢白い恋人サッカー場
法人名
株式会社北海道フットボールクラブ(HFC)
クラブカラー
レッド、ブラック、ブルーグレー
マスコットキャラクター
ドーレくん
チームソング
AMBITIOUS〜炎になれ好きですサッポロ/一度だけの今と

クラブ沿革

前進は川崎市にあった東芝サッカー部

1996年、Jリーグブームに沸く中「プロスポーツ不毛の地北海道にプロクラブチームを!」の声が上がり、北海道を拠点とする若手財界陣が東芝サッカー部の誘致に成功。

1998年にジャパンフットボールリーグ(JFL)からJリーグへの昇格に成功するが、翌年よりJリーグ ディビジョン2(J2)が開始されることに伴い行われたJ1参入決定戦…いわゆる『入れ替え戦』でアビスパ福岡に敗北しJ2に降格。このころにはJへの参入時に行った派手な補強が災いし、チームの財政は破綻同然となった。

1999年に元日本代表監督岡田武史監督を招聘。99年シーズンはクラブチームの指揮の経験の無い岡田監督による選手起用がかみ合わず5位と低迷。

2000年シーズン。岡田監督は反省し、選手層も薄く財政基盤も貧弱なチームが確実に勝利できるよう、一点注力主義の身の丈サッカーを身上に徹底したカウンターサッカーを展開。ついにはブッチギリの成績でJ2優勝を決め、Jリーグ ディビジョン1(J1)にめでたく昇格。*1

2002年に招聘した柱谷哲二監督はチームを徹底的に破壊、その後2回の監督交代、その場限りの補強も実らず、Jリーグ始まって以来最速のペースでJ2への降格を決めてしまう。

2003年シーズンは、鹿島アントラーズ名古屋グランパスエイトなどで指揮を振るった名将ジョアン・カルロスを招聘。一年でのJ1復帰を目指す。

札幌に在籍していた2001年に得点王となったウィル(俺王様)、ホベルッチ・ベットのセレソンコンビ、U-20代表である今野、同じくU-20代表候補である相川・新居などの活躍が期待され…たが、監督の途中交代、外国人選手のトラブルによる退団、戦術が定まらないまま試合に臨みボコボコにされ、結局9位と言うチーム史上最低の成績でシーズンを終える。

2004年シーズンは基本に立ち返るため、多くのベテラン中堅選手を解雇U-23キャプテン今野泰幸を移籍させ、若手中心のチームを一から築く方針に転換(5ヶ年計画)。若手選手の育成に定評ある元磐田の柳下監督を招聘。

クラブの佐々木社長曰く「腰掛の外国人や大物選手にビフテキを食わせる余裕は無い。われわれと一緒にホッケジャガイモを食べて頑張れる人材で戦っていく」。

結果、序盤の不調が仇となってクラブ史上初のJ2最下位となるも、天皇杯ではまさかのベスト8進出を果たし、現状の路線が間違いではないことを示した。

2005年5月、児童買春などの容疑で取締役逮捕。大口スポンサーを失い、石水勲会長が辞任するなど苦境に立たされた。その逆境を跳ね返し、昇格争いに加わり6位。

コンサドーレ札幌U-18は2005年高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会で準優勝を果たした。チームはこの年にアイスホッケーNPO法人札幌ポラリス北海道教育大学と相互協力協定締結を結んだ。

2006年シーズンはホーム開幕戦で乱闘によるフッキの退場という幸先の不安なスタートだったが9勝7敗6分と5位で前半折り返した。しかし健闘むなしく、最終的に前年と同じ6位でシーズンを終える。柳下監督はこの年を持って退任することが決定した。

天皇杯ではJ1の3チームに連勝。準決勝ではガンバ大阪に惜敗もベスト4に輝いた。

2007年は、前年まで大宮アルディージャを指揮していた、三浦俊也監督が就任。J2優勝でJ1復帰を決めた。

ユニフォームの胸にプリントされた「白い恋人」の文字は強烈なインパクトを残す。

コンサドールズはJ初のオフィシャルダンスドリルチームとしてチーム応援の華となっている。2003年9月の湘南ベルマーレ戦ではファイターズガールコンサドールズと合同で共演した事もある。*2

J1に復帰した2012年シーズンは、シーズン前半の4月8日に最下位に転落して以降、一度も順位が上がることなく、最終的には17位に勝点24の大差をつけられて最下位*3に沈み、1年でJ2陥落となった。

Jリーグでの成績

  • 1998年 1st 16位(4勝13敗)/2nd 10位(8勝9敗)/年間総合 14位
  • 1999年 J2 5位(17勝6分13敗)
  • 2000年 J2 1位(31勝5分4敗)
  • 2001年 1st 8位(6勝3分6敗)/2nd 14位(4勝2分9敗)/年間総合 11位
  • 2002年 1st 16位(2勝0分13敗)/2nd 16位(3勝1分11敗)/年間総合 16位
  • 2003年 J2 9位(13勝13分18敗)
  • 2004年 J2 12位(5勝15分24敗)
  • 2005年 J2 6位(17勝12分15敗)
  • 2006年 J2 6位(20勝12分16敗)
  • 2007年 J2 1位(27勝10分11敗)
  • 2008年 J1 18位(4勝6分24敗)
  • 2009年 J2 6位(21勝16分14敗)
  • 2010年 J2 13位(11勝13分12敗)
  • 2011年 J2 3位(21勝5分12敗)
  • 2012年 J1 18位(4勝2分28敗)

2013年度所属選手

GK
[1]曵地裕哉,[16]李昊乗,[21]阿波加俊太,[30]杉山哲
DF
[2]日高拓磨,[3]パウロン?,[5]趙成眞,[6]前貴之,[23]奈良竜樹,[25]櫛引一紀,[26]小山内貴哉,[27]松本怜大?,[29]永坂勇人?
MF
[4]河合竜二,[8]砂川誠,[10]宮澤裕樹,[15]古田寛幸,[17]岡本賢明,[18]深井一希,[20]上里一将,[27]荒野拓馬,[28]神田夢実,[31]堀米悠斗,[32]中原彰吾?
FW
[7]榊翔太,[9]横野純貴,[11]前田俊介,[13]内村圭宏,[14]上原慎也,[19]テレ?,[22]三上陽輔
監督
財前恵一

歴代監督

過去に所属した主な選手

GK
ハーフナー・ディド(1997-1998),佐藤洋平(1999-2003),藤ヶ谷陽介(1999-2004)
DF
村田達哉(1996-2000),ルイス・カルロス・ペレイラ(1996-1998),名塚善寛(1999-2001),池内友彦(1999-2000,2005-2008),大森健作(2000-2004),曽田雄志(2001-2009),西澤淳二(2003-2008),西嶋弘之(2004-2010)
MF
後藤義一(1996-1998),ウーゴ・マラドーナ(1997-1998),アシス・モレイラ(1999),野々村芳和(2000-2001),山瀬功治(2000-2002),今野泰幸(2001-2003),森下仁志(2001-2003),和波智広(2001-2007),上里一将(2004-2010),西谷正也(2005-2008),西大伍(2006-2009),藤田征也(2006-2010),クライトン(2008-2009),芳賀博信(2006-2012)
FW
アルシンド(1996),吉原宏太(1996-1999),ホルヘ・ルイス・デリー・バルデス(1997-1998),深川友貴(1998-2001),高木琢也(2000),播戸竜二(2000-2001),エメルソン・パッソス(2000),大黒将志(2001),ウィル・ロブソン・エミリオ・アンドラーデ(2001,2003),堀井岳也(2001-2005),小倉隆史(2002),新居辰基(2002-2004),相川進也(2002-2007),中山元気(2005-2009),石井謙伍(2005-2009),ダヴィ・ジョゼ・シルバ・ド・ナシメント(2007-2008),キリノ(チアゴ・キリノ・ダ・シルバ)(2009-2010,2012),中山雅史(2010-2012),近藤祐介(2010-2012)

*1:この2000年シーズンにJ2に降格してきた浦和レッズと激戦を繰り広げた。その後の選手引き抜き合戦などもあって、因縁の仲となる。2ちゃんねるでは互いのサポーターが煽り煽られの喧嘩を馴れ合いつつ展開中

*2:ちなみに移転前の日本ハム・ファイターズ札幌ドーム開催でコンサドールズが応援にかけつけた事がある。

*3:年間28敗、総失点88、得失点差-63はJ1ワースト記録、勝点14はJ1がリーグ戦18チーム年間34試合制となって以降最低記録

このキーワードを共有する

はてなダイアリーに投稿 このエントリーをはてなブックマークに追加

リンクスコア: 65