ゴットフリート・ゼンパー

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ゴットフリート・ゼンパー

ごっとふりーとぜんぱー

Gottfried Semper(1803-1879)。ドイツ建築家建築理論家。

アルトナの裕福な家庭に生まれる。ゲッティンゲンで歴史と数学を学び、ミュンヘン建築を学ぶ。そのご、パルテノン神殿は多彩色であるという論を当時展開してたパリのフランツクリスチャン・ガウのもとで建築を学ぶ。1830年から1833年にかけて、建築家ジュール・グーリーとともにイタリアギリシアへの「東方への旅」を行う。

ドレスデンでこんにちホッホシューレ(高等学校)と呼ばれている王立芸術学校に職を得る。この学校はのちに建築家アドルフ・ロースを輩出している。またこれに前後してカール・フリードリヒ・シンケルとも会っているが、その時の様子ははドイツ建築第一世代から第二世代への聖火授受のようであったとも形容される。

ドレスデンでは「ゼンパーシナゴーグ」と「ゼンパーオペラ」と呼ばれる劇場を設計している。この時代に音楽家リヒャルト・ワーグナーとも親交を結んでおり、ゼンパー建築論とワーグナーの楽劇論は、ともに刺激しあう側面があった。

1849年ドイツ5月革命の余波からドレスデンにも暴動が起こり、ワーグナーともどもこの暴動に関与したため、政治犯として亡命を余儀なくされた。パリを経てロンドンに向かい、同地ではクリスタルパレスとその展示物に感心し、建築家としての経歴にとって災難であったこの亡命によって建築理論家としては実り多い成果をあげ、これはのちのモダニズムをはじめとした建築建築論に決定的な影響を与えたと今日では見なされている。亡命中に書かれた建築論には『建物芸術(建築)の四要素』や『科学、工業、芸術』があり、またのちの主著『様式論』の構想も、ここにおいて始まった。

1855年、今日のETHの前身であるスイス連邦工科学校設立とともに、その校長に就任する。教授陣には歴史家のヤーコプ・ブルクハルトがいた。ゼンパー建築論はブルクハルトだけでなく、ニーチェの思想にも影響を与えている。

1871年にウィーンに移り、1879年、イタリアにて客死。


主な作品に

1839年 ローザ邸

1840年 ドレスデンシナゴーグ

1878年 ドレスデン宮廷劇場(ゼンパーオパー)

1864年 ETH

1888年 ウィーン宮廷劇場

などがある。


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