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サウンドデモ

(一般)
さうんどでも

 イラク反戦以降日本において定着した新しいスタイルのデモ。DJブースにDJ、巨大なスピーカーやアンプを積み込んだサウンドカーからダンスミュージックを爆音で流し、デモ隊がそれに合わせて踊る。党派や労組といった旧来の組織化されたデモとは違い、巨大なパペットや鼓笛隊、派手なバナーや旗に、それぞれが道化のような仮装(コスプレ)をしたデモ隊と、音楽だけではなくパフォーマンスとして新しい要素を多く兼ね備えている。サウンドデモが最も新しいデモのスタイルである理由は、禁欲的であり粛々と統一的なメッセージを訴えかけるような旧来のデモとは違い、ええじゃないか的に参加者それぞれが公道で多様なメッセージを踊って発散する快楽が大きな魅力となっている。

 サウンドデモのルーツは、毛利嘉考の「文化=政治」によれば、イギリスのノッティングヒルカーニバルの暴動においてジャマイカ移民達が繰り出したサウンドシステムや、ニューヨークで巻き起こった同性愛者達へのエイズ差別への反対運動「ACT UP」、そしてイギリスで80年代後半から爆発的に広がったセカンドサマーオブラブへの反動としての反レイヴ法案反対闘争、そして90年代に入っての路上解放運動、リクレイムザストリーツにある。この本では指摘されてはいないが、1848年のウィーンで多発したプロレタリアートのシャリバリ(猫ばやし)もはずせないだろう。物価の高騰や家賃の高騰に怒った貧民達が、政治家や悪徳大家、パン屋の家の前に夜な夜な集まり、猫が交尾をする時にニャアニャア大騒ぎするように太鼓や鍋を打ち鳴らして大騒ぎをしたのがシャリバリだ。



以下に年表として個々の事例の詳細を書いておく。



海外サウンドデモ発生史

「シャリバリ、貧者の行進。ウィーン1848年」

 1848年 ウィーン ボヘミアから大量のプロレタリアート(何も持ってない貧乏人)が流入し、半世紀で人口が2倍に膨れ上がったウィーン。この過剰流入で物価は上昇。家賃も食費も上がりまくり、職も無い状態に。膨れ上がった不満に革命の波が押し寄せる。3月革命の暴動や工場の焼き討ちの果てに、皇帝は逃げ出し、革命は成功。しかし、革命の主体であるプチブル市民層に不満を持つプロレタリアの群集から自然発生的にシャリバリ(猫ばやし)が起こるようになり、シャリバリは革命派によって禁止、弾圧される。

「サウンドシステム、路上へ。ノッティングヒルカーニバル」

1958年 イギリス ノッティングヒルで暴動。 ノッティングヒルカーニバルは、現在、200万人以上の人を集めるヨーロッパ最大級のカーニバルだが、元はカリブ系のカーニバルではなく、イギリスの伝統的なお祭りだった。それがカリブ系になるのは60年代以降慢性な不況が進行する中でノッティングヒルにカリブ系移民が集中し、警察や右翼との衝突によってこの場所が有名になったからである。カーニバルも自然にカリブ系が増え、白人が減り、政治化していく。

75年 イギリス ノッティングヒルカーニバルにジャマイカ系移民がレゲエと巨大なサウンドシステムを持ち込む。

76年 イギリス 再びノッティングヒルカーニバルで暴動。この年にはセックス・ピストルズも登場し、行き場を失った若者の絶望感、無力感に訴えかけた。BBCが製作した『ダンシング・イン・ザ・ストリート』という音楽史のビデオシリーズの「パンクロックとレゲエ」の巻では、ノッティングヒルカーニバルに設置された巨大なサウンドシステムとそれを囲む警官と若者との衝突が、ボブ・マーリーの曲とともに時代を象徴する映像として編集されている。

77年 イギリス ノッティングヒルカーニバルにDJブースの上にサウンドシステムを載せたサウンドカーが初登場する。


「ACT UP」

87年 アメリカ ニューヨーク ACT UP結成「権力解放のためのエイズ連合」はエイズという病の特異性のために、既存の左翼政治運動とも60年代以降の「新しい社会運動」ともまったく異なった特徴をもっていた。ゲイやレズビアンの文化とともに発展してきたアーティストやミュージシャンの多い共同体でもあったACT UPは政治的組織でありながらそれ自体文化的表現とも呼びうる「作品」を次々と作り出すことによって権力に抵抗した。こうしたポップアート的作品の転用とともに、デモではお面や模型を使ったパフォーマンスを行い、演劇的な要素をデモに取り込んだ。

「セカンドサマーオブラブとRTS」

88年 イギリスでセカンドサマーオブラブが始まる。レイヴ誕生。野外にサウンドシステムを持ち出し、大音量の音楽をかけて踊ることが文化として定着する。

89年 ドイツ ベルリン ラブパレード始まる。 ドイツ統一後の東西格差に関するデモが、90年代半ば以降商業化して150万人以上が来るカーニバルとなる。

90年 イギリス ロンドン RTS結成 路上解放運動。反車社会、反高速道路運動として路上を占拠するストリートパーティーが続発する。

このDiY文化(RTS)は既存の左翼運動に対する批判でもあった。RTSの主要な参加者となったのは、旧来の左翼運動の持つヒエラルキー構造にあきあきした人々だった。旧来の左翼運動は、中心的な指導者が存在し、指導者がデモや集会を組織し、参加者がその話を聞くという形式が主流だった。しかし、その指導者の話とやらも、すでにどこかで語られたことばかりだった。それは、何か積極的に作り出すというよりは、常に何かに対して「反対」するばかりで、否定的で、悲観的で、消極的なものでしかなかったのである。若い世代はそうした古い左翼文化にうんざりしていた。RTSのDiY文化は、そうしたこれまでの左翼のスタイルを批判したのだった。カーニバルという手法も、指導される大衆という固定的なヒエラルキーを反転させ、享楽と開放を同時にもたらすために導入されたのだった。

                                           毛利嘉考『文化=政治』

93年 イギリス ロンドン CJB(反レイヴ法案)反対闘争 CJA(反レイヴ法)反対闘争 野外でテクノミュージックをかけて踊ることが法的に規制され、それに反対するレイヴァー達による初のサウンドデモが行われる。

「イラク反戦運動と反グローバリズムムーブメントへ」

98年 バーミンガムでG8サミット。その二日後にジュネーブでWTOの50周年。それに合わせて20カ国、30以上の都市でRTSのイベントが行われる。グローバル・ストリート・パーテフー

99年 ドイツ ケルンのG8サミット開催に合わせて43ヶ国で「資本に反対するグローバルカーニバル」が行われる。

アメリカ シアトルで行われたWTO会議に5万人のNGOや個人が終結した反グローバリズム運動が起こる。
 
01年 イタリア ジェノバサミットに15万人が反対。一人死亡。

同年 アメリカ NY 9・11テロ

02年 アフガン戦争

03年 イラク戦争 全世界で1500万人反戦デモ 東京でもワールドピースナウを中心とする反戦パレードが行われ、5万人が参加する。

05年 フランス パリ郊外で移民3世の若者を中心とする暴動

06年 フランスCPE反対デモ

06年 ドイツ ハイリゲンダムサミット








本邦サウンドデモ史


「サウンドデモ前史」

60年 日本 東京 安保闘争

こうした状況において、既存の政党(共産党や社会党)や労組とは異なる組織が現れ始めた。それは、組織が人々を動員するのではなく、人々が自分達の表現手段として組織を作るという動きだった。こうして安保闘争では、「いままでの型にはまった運動方式ではなくて、自分達で考えた運動方式が出現することとなった。実際に当時の国会周辺は、各地から集まった各種のグループが掲げる様々なプラカードや旗で埋まり、「多声部の複雑なフーガ」の様相を呈していた。そこには学生や労組員のデモだけでなく、劇団員や作家の隊列、大学教授の請願団、暖簾を掲げた商店主のデモ隊、さらにはムシロ旗を持った農民、ウチワ太鼓を鳴らす仏教徒、子連れの女達などが集まっていた。こうした連帯感の中では、孤立した運動家が抱きがちな、悲壮感やヒロイズムが消えていった。6月4日の交通ストの報道は、「どの顔も険しくは無い、むしろ明るい。たえず沸き起こる拍手、歌声」「ごくあたりまえのことが行われている、というカラっとした明るさ」「その日の午後はうきうきと、お祭り気分の表情だった。自信と誇りが祝典となった・・・」を伝えている
                     
                                         小熊英二 『民主と愛国』

88〜91 原宿 原宿 反天皇制個人共闘「秋の嵐」 
88年秋に昭和天皇ヒロヒトが病床に伏してからの自粛強要のX デー状況の中で、相変わらず型通りのデモや集会という手段でしかリアクションを起こせない諸セクト・運動体にしびれをきらし、何とか活路を開きたかった 「はみだし者」たちは、その闘いの場を原宿ホコテンに求めた。竹ノ子族・ローラー族に始まり、バンドの青田刈りの場とまでなったホコテンに、「反天皇制」 というスローガンは決してミスマッチではなかった。それは、隣接する明治神宮が明治天皇を奉った場所だったという立地条件 ゆえだけではない。「天皇制」に裏付けられた抑圧的な管理教育とタテ型社会により鬱積した若者たちのエネルギーは、その方向性が定まらず発散を繰り返して はいるものの、それはきっかけを自ら作り出せないというだけで、ひとたび強力なカンフル剤が打ち込まれれば、社会を底辺から揺るがすであろう可能性を秘め ていた。誰もが疑問を抱きつつもやりすごしていた「自粛」に対し、それを風刺した芝居やパフォーマンスに拍手が沸き起こり、パンクビートにのったメッセージは、普段はおとなしい子供たちの秘めたる炎に油を注いだ。駅頭で手渡されれば ゴミ箱直行のアジビラも、あっという間に配られて、教科書から削除された歴史の真実を中高生らに伝えることができた。
                                            反天皇制個人共闘「秋の嵐」



94〜99 東京「東京レズビアン・ゲイ・パレード」主催はILGA日本。だんだん参加者が増えたが96年に主催団体が分裂。後に先細り、実質的に消滅した。

2000〜 東京 渋谷「東京レズビアン&ゲイパレード2000」が行われる。主催はTLGP

2001〜 

01年6月26日 早稲田「地下部室撤去反対闘争RAVE」 
 学生とまったく交渉しようとしない学生部を引きずり出すために、早稲田大学大隈銅像前にDJブースを設置し、無許可の学内レイヴが強行される。200人程の学生が集まり、深夜の大学で踊りまくる。午後11時半。突然の呼び出しをくった学生部長がブチ切れ、ダンスフロアーに向かって車で突っ込んで来た!怒った学生が車を包囲してベンチやゴミ箱でバリケードを作り、フロアーは最高潮に!ビビった大学側が機動隊を要請。この事件はフライデーに掲載される。

01年7月31日 早稲田「地下部室撤去反対闘争RAVE・SECOND IMPACT」
 部室使用期限当日深夜。大学内には1000人近い学生が立てこもり、地下部室にバリケードを作って強制封鎖に備えた。それと同時に再び学内で撤去反対レイヴが行われた。100人ほどの教職員が取り囲む中、200人程の学生が踊り狂った。途中、DJブースの電源を職員に抜かれるなど小競り合いがあったが、使用期限の迫る深夜12時までに無事終了し、学生達はバリケードへ。一方で学内から締め出された2000人近い学生が正門前で教職員200人ほどと対峙。双方が正門を挟んで押し合ったため、正門が破壊され、引きちぎられた。この時点で機動隊が導入される。職員に向かって花火を打ち込んだり、生卵を投げる学生も現れる。朝になって各バリケードを学生部が訪問し、数日は強制撤去が無いことを文章で取り交わす。(これは当日大学が国家試験の会場だったため。夏休みに入って立てこもった学生は強制排除された)

01年9月23日 東京 渋谷「CHANCE!ピースウォーク」東京の小林一朗という男性が「報復戦争に反対する動きを起こしませんか」と呼びかけた一通のメールからインターネット上で人が集まり、メーリングリストが作られた。 第一回目の「ピースウォーク」は9月23日に渋谷の代々木公園〜渋谷駅前〜原宿というコースで行われ、約300人が参加した。

2002〜 02、03年は東京レズビアン&ゲイパレードは行われなかった。秋にはブッシュがイラク攻撃を示唆し、10月始めにCHANCE!はイラク攻撃反対のピースウォークを始めて開催する。さらにこの戦争は世界の環境や人権にも被害を及ぼすため、アムネスティ、オックスファム、グリーンピースといったNGOも実行委員会へ加わっていく。10月末に渋谷の宮下公園に約700人集まり、翌03年1月には日比谷公園へ7千人、3月には4〜5万人が集まる。

★2003〜 03年〜04年は渋谷において反戦サウンドデモが盛り上がる!!それが大阪、京都、名古屋へ飛び火していく。

03年5月10日 渋谷「STREET RAVE AGEINST WAR」
03年5月30日 渋谷「有事法粉砕 STREET PARTY TO DEMONSTRATION」
03年7月19日 渋谷「PARTY AND PROTEST/ANARCHY,PEACE,FREE!DUMB」
03年8月3日  大阪「ぐるぐる道頓堀」
03年10月5日 渋谷「SET BUSH FIRE/STREET PIRTY+DEMONSTRATION」
03年10月19日 京都「解放どすえ」

2004〜 

04年1月24日 渋谷「PARTY+PROTEST!!IRGENT ACTION AGAINST SDF DISPATCH TO IRAQ!」
04年5月8日 大阪「アメ村右往左往」
04年6月6日 名古屋 デモンストレーション/ストリートパーティー in 名古屋
04年6月13日 新宿「輸入盤CD規制反対大暴動in新宿」
04年9月19日 京都「反戦ミュージック2004」
04年11月14日 西荻〜阿佐ヶ谷「KNOCK OUR SECURUTY!! GRAFFITY AGAINST CONTROL!!!」
04年11月23日 大阪城公園〜京橋「早起き大阪城 〜基地いらん! 戦争あかん! 11.23.関西のつどい〜」

★2005〜 渋谷を中心とした反戦サウンドデモが終わり、反戦という主題も含みつつ、格差社会、反グローバリゼーションの拡大を背景に、貧乏人やらマイノリティがそれぞれの主張を打ち出したユニークなサウンドデモが増えていく。

05年5月1日 渋谷「RECRAIM THE STREETS! MAYDAY2005DEMONSTRATION」
05年8月13日 渋谷「ゲイ・パレードTLGP2005」3年ぶりに復活。以降毎年行われる。
05年8月20日 高円寺〜中野「放置自転車撤去反対!オレの自転車を返せデモ!!」
05年9月11日 京都「反戦ミュージック2005」

2006〜

06年2月24日   高円寺「三人デモ」
06年3月18日   高円寺「反PSE高円寺デモ」
06年3月21日   下北沢「まもれ シモキタ!パレード」
06年3月25日  大阪「反PSE法御堂筋、四ツ橋筋サウンドデモ」
06年3月26日  新宿「反PSE大イベント」
06年4月30日 渋谷「MAYDAY FOR FREEDOM AND SURVIVAL06 FOR THE CONSPIRACY OF THE PRECARIATS」
06年7月8日  福岡「迷惑をかけるやつらのデモ」
06年8月30日 秋葉原「MAYDAY!MAYDAY!MAYDAY!4.30弾圧を許すな8.5PRECARIATS」
06年9月16日 高円寺〜中野「家賃をタダにしろ!中野〜高円寺一揆」
06年10月17日 下北沢「下北 INSIST! 〜世田谷区長よ、シモキタの声を聞け!!」
06年11月26日 原宿〜渋谷「反戦と抵抗のフェスタ2006」
06年12月3日 仙台「仙台サウンドデモ STOP6ヶ所!STOP再処理!」

2007〜

07年4月1日   仙台「HARUTIGU ROKASO2007」
07年4月16日〜21日 高円寺 高円寺選挙
07年4月30日 大久保「自由と生存のメーデー07 プレカリアートの反抗」
07年5月13日 青山「MARIJUANA MARCH TOKYO2007」
07年6月30日 秋葉原「アキハバラ解放デモ」
07年11月17日 北海道 札幌「G8歓迎に非ず」
07年12月1日 表参道「反戦と抵抗のフェスタ07 生きのびる」

★2008〜 インディーズ系メーデーが増加。そして北海道洞爺湖サミットへ。

08年2月10日 熊本「熊本ニートデモ」
08年4月20日 青山「420祭り」
08年4月29日 熊本「KY(くまもとよわいもの)メーデー」
        札幌「自由と生存のメーデー」
        京都「恩恵としての祝日よりも、権利としての有休を!」  
08年5月1日 高円寺「好き勝手に生きてるやつらのメーデーデモ」
       福岡「フリーター、貧民メーデー5月病祭り 危うい鼓動」
       松本「立ち上がれない者達のメーデー2008 来年こそ立ち上がるために」
08年5月3日 新宿「自由と生存のメーデー 08--プレカリアートは増殖/連結する」
08年5月11日  青山「〜マリファナマーチ2008 in TOKYO〜」
08年6月29日 新宿「G8サミット直前東京行動SHUT DOWN!貧困と環境破壊のG8サミッ
ト」
08年7月5日 札幌 
08年7月7日から9日 洞爺湖周辺 反G8サミットキャンプアンドデモ
08年7月12日 高円寺 札幌サウンドデモでの不当逮捕に対する抗議集会&デモ

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