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サラミスの海戦

(社会)
さらみすのかいせん

紀元前480年にギリシアのサラミス島の沖合で行われた海戦。
アテナイを中心とするギリシア諸都市の艦隊が、ペルシア帝国の艦隊を狭い水道に誘引・撃滅した。これによって、ペルシア軍の遠征は失敗に終わることが運命づけられた。ペルシア戦争のクライマックス。

  • 日時:紀元前480年9月
  • 場所:ギリシャのサラミス沖の水道
  • 参加兵力
    • ペルシア海軍:1200隻
    • ギリシャ連合海軍:400隻*1

概略

紀元前483年のことである。アテナイの支配するラウレイオン銀山で新鉱脈が発見され、一時的な収入の増大がもたらされた。普通ならばこの利益を市民達に還元するところであったが、独り、アルコンの職にあったテミストクレスはこの収入でもって軍船100隻*2の建造を行うべきと考えた。彼は表向きは「アイギナ人達に対抗するため」として軍船建造を民会に対して提案して、容れられた。実際にはペルシア帝国に対抗するための切り札となる艦隊は、こうして誕生し、アテナイはギリシャ世界第一の海軍国となった。
この年、テミストクレスは政敵のアリステイデスを陶片追放によって国外追放させることに成功しており、アテナイ政界の主導権を手中にしていた。

やがてペルシア戦争が始まると、テミストクレスは策を講じて*3将軍(ストラテゴス)に就任、アリステイデスらを呼び戻して軍を組織した。もちろんその中核は自ら整備させた艦隊である。
さて、ペルシア軍の侵攻が迫る中、アテナイは古代ギリシャの慣習に従ってデルファイ(デルポイ)のアポロン神殿に神託を求めた。が、その内容は恐るべき破壊を予言したものだった。

なぜ座しているのか、滅びし者たちよ。世界の果てまで逃げよ(略)
すべては廃墟と化した、炎と猛き戦神によって
疾きシリアびとの戦車が汝らを圧伏せん
多数の塔を彼が毀す、余すところは有らぬ
数多の神殿も慈悲無く焼かれぬ、(略)

http://www.dur.ac.uk/ntf.greekgods/GGWorksheet.html

一切の救いのない内容に、全アテネが戦慄。思わず二回目の神託を求めるという挙に出る。

(略)而るに全知なるゼウス、アテナイの誓願に応えん
木の壁だけは落つることなく、汝ら汝の子らを助けん。
而して待つことなかれ、アジアより来たる徒歩と騎乗の者達を
留まることなく、背を向けて大敵より逃れよ。
まこと、彼に臨む日は来たらん。
聖なるサラミス、そは女の産みし息子らに死をもたらさん
穀物散じられるとき、或いは刈り取りのときに。

http://www.dur.ac.uk/ntf.greekgods/GGWorksheet.html

この内容をめぐってアテナイは紛糾。特に問題となったのは「木の壁」という文言だった。一部の人たちはこれはアクロポリスの神殿を指すと考えた。テミストクレスはこれは船を指すと解釈した。
また、最後の2段も紛糾の原因となった。サラミスに行けばいいのか、それともサラミスに近づくなという警告なのか。テミストクレスは、「死をもたらさ」れるのはペルシア人達に対してだと解釈した。なんとなれば、仮にもヘラスの子たるアテナイ人達の滅びの予言であるならば、それは「聖なるサラミス」ではなく「災いなる」とか「不吉なる」という文言になるはずだ、というのである。
何にせよテミストクレスの解釈が大方の賛同を得てアテナイの方針は決した。可能な限りの市民を船によって市外に逃し、男子は船に乗って戦うというものだった。その他、「木の壁」がアクロポリスの神殿だと考えた人たち*4は市に残ることとなった。


さて、テルモピュライを突破してアッティカ地方に侵入したペルシア軍はアテナイ市を攻撃、市は陥落し、アクロポリスの神殿も彼らの手に落ちた。
ギリシア軍は陸戦では敗れたものの、海上戦力は無傷で残っており、サラミス水道に集結していた。このとき、他のポリスの船団の中には、ここは退避して捲土重来を期すべきだと考えているものもいた。
テミストクレスは彼らに対して戦うべきであることを説くと同時に、策略も準備していた。ペルシア軍に対して「ギリシア艦隊はペルシア艦隊を恐れて逃亡しようとしている。今攻撃しなくては彼らを逃してしまうことになる」という偽情報*5を吹き込み、サラミス水道内へと誘引しようというのだ。
計画は成功し、ペルシア艦隊はギリシャ人達の待ち受けるサラミスへと乗り込んできた。勝利を確信していたクセルクセス大王は、水道を一望できる高台に玉座を従え、勝利の一部始終を目にしようと固唾をのんでいた。
だが、狭い水道内に多数のペルシアの船が溢れた結果、彼らの艦隊は半ば不随の状態となっていた。ここに、ギリシャ艦隊が襲いかかった。勝手知ったる水面を走り回るガレー船団の猛攻を受け、ペルシア艦隊は壊滅的な損害を被る。制海権がギリシャ人達のものとなったのは明らかだった。


シーパワーのなんたるかを理解できないほどペルシア人達は愚かではなかった。クセルクセスは後事を部将マルドニオスに託して急いで帰国する。ペルシア陸軍もアッティカの占領地を放棄して離脱、テッサリアに戻って越冬することとなる。
ペルシア陸軍とギリシャ連合軍の決戦は翌年に持ち越されることとなった。

*1:いずれも諸説有り

*2:ヘロドトス的には200隻

*3:別の候補者を買収して排除した

*4:と、逃げられなかった人たち

*5:いや、あんまり偽じゃないですが

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