かつてあったドイツのザクセン公国の君主号。
War and Peace and War: The Rise and Fall of Empires (English Edition)作者:Turchin, PeterPlumeAmazon 第7章 中世のブラックホール:カロリング辺境におけるヨーロッパ強国の勃興 その11 カロリング帝国の北東部にはエルベ川東岸にゲルマン(ドイツ)とスラブの間のメタエスニック辺境が出現した.まず9世紀にドイツが侵攻し,10世紀にスラブが押し戻したところまで語られた.ここから11世紀以降辺境がその両側にどういう影響を与えたかが語られていく カロリング朝の北東部辺境 その2 何世紀にもわたるゲルマンの東方への…
まずは欧州史上の実際の時代区分の話から。最初に欧州中世を以下に三分割したのは歴史家レオナルド・ブルーニ「フィレンツェ人の歴史(1442年)」で、フラビオ・ビオンド「ローマ帝国衰退後の数十年(1439年~1453年)も同様の枠組みを採用し、ドイツの歴史家クリストフ・セラリウス「古代、中世、新時代に分割した通史(1683年)」の出版により通説になります。 中世前期(early middle ages、500年頃~1000年頃)…ゲルマン民族の大移動(蛮族の侵入)からマジャール人、ノルマン人の侵入が収まるまで 中世盛期(high middle ages、1000年頃~1300年頃)…十字軍により西欧…
フッ化水素酸はガラスを溶かすことのできる酸として非常に有名です. フッ化水素酸はどのように発見されたのでしょうか? パリ万博(1867年)で優勝した,酸エッチングを活用したガラス作品 By Andre Carrotflower - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=116226404今回はフッ化水素酸の危険と向き合い,これを利用してきた化学の歴史を見てみましょう.
フランス史10講 (岩波新書 新赤版 1016)作者:柴田 三千雄岩波書店Amazon目次 第1講 「フランス」のはじまり 「フランス史」とは何か――予備的な考察 1 ガロ・ローマ時代 ガリアとガロ・ローマ ゲルマン人の大移動とローマ帝国の滅亡 2 フランク王国 ゲルマン部族国家とフランクの興隆 クロヴィスの改宗 メロヴィング王朝からカロリング王朝へ ヨーロッパ地域世界の成立 カロリング帝国の分割 3 フランスの誕生 誕生の要因 民族大移動の最後の波 領邦君主領とカペー朝の誕生 フランク神話 ランスの聖別 フランク人かガリア人か 第2講 中世社会とカペー王国 ヨーロッパ地域世界の秩序観念 1 …
神聖ローマ帝国の辺境に現れた無名の下級貴族「ルナール家」は、その後半世紀の間に帝国北東端の異教徒たちを駆逐し、キリスト教のポンメルン王国を建国するほどとなった。 初代ポンメルン「慈悲王」ゲロの嫡男オトゲルは、度重なる戦争の果てに勢力を拡大し、ついには神聖ローマ帝国皇帝の地位にまで辿り着くが、最終的には東方のギリシア人の地で戦場において没する。 この後を継いだのが、ゲロ慈悲王の弟で第1回十字軍の英雄ルートヴィヒ。その寛大な心でも尊敬を集めるルートヴィヒが新たな神聖ローマ帝国皇帝として推戴され、1134年に発令された第2回十字軍においても活躍しキリスト教国としてのエジプト王国を建国するなど、その威…
「きつね」の紋章を特徴とするルナール家は、神聖ローマ帝国の東の辺境、ラウジッツ辺境伯領のさらに辺境に位置する小村シュプレーヴァルトから発祥した。 その創始者ルイの嫡男オトゲルは、一族の復讐を果たしたのちに北方の異教徒たちを平定し、かつて存在したノルトマルク(北方辺境伯領)をキリスト教勢力の下に取り戻した上で、この地にブランデンブルク辺境伯領を設立した。 さらにその嫡男ゲロはこの辺境伯領を一層拡大し、ポンメルン王国を建国。 そしてその弟ルートヴィヒは十字軍にも参加し、その活躍でもって見事イェルサレムを奪還。初代イェルサレム女王に彼の姉であるディトケを据えるなど、一族の繁栄に貢献した。 そして偉大…
かつて、ノルトマルク(北方辺境伯領)と呼ばれていた地は、カール大帝および東フランク王ハインリヒ1世とその後継者オットー1世らによって平定され、ドイツ人による支配が確立していたものの、10世紀末頃からスラヴ人による反乱が多発し、いつの日かこの地は彼ら異教徒の手によって完全に奪われてしまっていた。 これを解放し、再びドイツ人とカトリックによる支配を回復するのは、史実では1134年のアルブレヒト熊公の代まで待たねばならなかった。 しかしこの物語においては、そのアルブレヒト熊公より半世紀早く、ルナール家のオトゲル隻脚伯の手によって、ドイツ人とカトリックによる支配圏「ブランデンブルク辺境伯」が設置される…
11世紀半ば。ドイツ東部ラウジッツ辺境伯領内に位置するシュプレーヴァルトの領主オトゲルは、「きつね」の紋章を特徴とするルナール家の一員であった。 生まれた直後に双子の弟を殺され、その5年後にも父を殺された彼は、まずは復讐の為にその首謀者であった隣国ゾンマーフェルト伯領に侵攻。領主ヤーコプを捕らえることはできなかったものの、その領土を奪いひとまずの復讐を遂げることはできた。 その後、煩悶する精神を癒すべく巡礼に挑んだオトゲルは高い信仰心を得るようになり、これに基づいて彼は領土の北方に広がるノルトマルクの地に巣食うスラヴ人たちに対する「聖戦」を行うことを決意。 これに勝利し、オトゲルは主君・ラウジ…
ドイツ東部「シュプレーヴァルト」。低地ソルブ語で「沼地」を意味するこの地域は、現代の国境においてはポーランドに接する辺境であり、シュプレー川によって育まれた氾濫原と泥炭地は特有の景観を生み出し、ユネスコの生物圏保護区に指定されるほどの自然豊かな土地である。 Embed from Getty Images window.gie=window.gie||function(c){(gie.q=gie.q||[]).push(c)};gie(function(){gie.widgets.load({id:'-TVpkxdfTVJLORd1os90IA',sig:'r1A0J1W1LQO14iEKqs7…
ローマ帝国の万民法(ばんみんほう)とは? ローマ帝国の万民法(Lex Mancipii)は、奴隷制度における奴隷の取引や所有に関する法律です。 背景 ローマ帝国では奴隷が重要な労働力として使用されており、彼らは所有者によって売買されることが一般的でした。万民法は、奴隷の取引と所有権の移転に関する明確な法的枠組みを提供することを目的として制定されました。 奴隷の売買と取引 万民法は奴隷の売買や取引に関する規定を含んでいます。奴隷は市場や奴隷商人を通じて販売され、奴隷主との間で取引が行われました。万民法では、奴隷の取引において正当な契約と財産権の譲渡が確立されるよう定められています。 奴隷の所有権…
時々、ジブリの『おもひでぽろぽろ』が観たくなる。高畑勲の映画。山形が舞台だったと思う。東京でOLをしていた主人公が山形に帰る一夏。主人公の子供時代と現在が行ったり来たりするストーリーが好きだった。時々、現在パートに子供時代の主人公がチラリと登場したりして、そのシーンを発見するためだけに映画を見たりしていた。そういうメタ的な部分を発見すると作り手の遊び心が見えて楽しい。手塚漫画でベレー帽と眼鏡の作者自身が登場するのも好きだ。 子供時代の主人公が、クラス対抗の野球を観た後の帰り道、試合で活躍した男の子に好きな天気を訊かれるシーンがある。男の子の名前は広田くん。ストーリーの上でほとんど意味を持たない…