スマートフォン用の表示で見る

シャルコー

Jean Martin Charcot 〔ジャン・マルティン・シャルコー〕、1825〜1893、フランスの神経病学者。精神分析学の始祖;ジクムント・フロイト師匠として有名。

そのフロイトによれば「必要以上に大物に見せるための上辺だけの気品など、先生とは全く無縁」だとか、「エスプリに富み、司祭が世俗に降り来たったかのよう」だと持ち上げ、「先生に掛かれば私などバラバラ」と、まるで『モリー先生との火曜日』でミッチ・オルボムがモリー教授を慕うように、絶大な信頼を寄せていた様子が目に浮かぶ。

但しこの文言はウィーン総合病院の、来る日も来る日も「解剖・解剖」のルーティン・ワークや、死体と麻薬に囲まれて退廃的・機械的にのっぺりと仕事する連中にほとほと嫌気が差していた29歳の青年が、沸きに沸いているパリのシャルコーに憧れ、その邂逅を果たした際のものなので、まあ「話半分」に聞いておかなければならないが。

ジャン・マルタン・シャルコーとピエール・ジャネーと共に(;サルペトリエール学派?)、「催眠現象は精神疾患の者だけが引き起こす特殊な状態に過ぎない」と主張したのに対し(;ヒステリー説)、オーギュスト・アンブロア・リエボーとイポリット・べルネームなど「ナンシー学派」は「言語暗示」を説き、1889年・パリの国際会議で後者に軍配が上がっている。

つまり即ち、論戦に負けたのだ。とはいえ、パリの車大工の子として生まれ・小さい頃から画才のあったシャルコーは、本業の神経病学の領域において、「多発性硬化症」や「筋萎縮性側索硬化症」、「脊髄癆の際の関節症」など、民俗学者早川孝太郎の場合のように持ち前の“画家の視線”で叙述しているだけあって、即物的でない・形而上的な博物学性が遺憾なく発揮されており、時代を越えていることは勿論、ITによって「人・物・金」の有り方が激変していった後に必要とされる人生論は、彼らの「意識のルート」を手本にすることは間違いない。

また、「オウム真理教麻原彰晃が弟子の眉間を突いて思うがままに扱っていたのは、シャルコーを真似たシャクティパットではなかったか?」と、当時かれらに慕われていた中沢新一は述べていた。