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シュリーフェン・プラン

社会

シュリーフェン・プラン

しゅりーふぇんぷらん

Schlieffen Plan

第一次世界大戦前のドイツ軍計画していた戦争(動員・開進)計画

ドイツを東西から挟むフランスロシアが同盟していたという状況を打開するために計画された。

名前は当時の参謀総長アルフレート・フォン・シュリーフェンにちなむ。

ロシアは広大でインフラ整備の問題もあり、動員及び開進に時間がかかるのに対しフランスはインフラ等に優れており早期の動員及び開進が可能であると考えられた。そこで、ドイツはフランスを速やかに打倒し、その後ロシアを打倒することを考えた。

そこでドイツ側はフランスの速やかな打倒のために、右翼側に強力な部隊を展開し低地諸国を踏破しパリを包囲し一気にフランス軍主力を殲滅することと企図した。直接にドイツとフランスが国境を接するアルザス・ロレーヌ間については薄く部隊を展開しフランス側に攻撃させ拘束することを企図していた。

第一次世界大戦ではこのプランを参謀総長ヘルムート・ヨハン・ルートヴィヒ・フォン・モルトケが改変したプランを用いたが、最右翼である第一軍の補給不足等の事情もあり包囲機動が縮小され、最終的にマルヌの戦いにて攻撃が頓挫し失敗に終った。その後はドイツ軍、フランス軍とも包囲を避けるために延翼競争を行い戦線が膠着してしまった。