ジョージ・S・パットン

ジョージ・S・パットン

(読書)
じょーじえすぱっとん

George Smith Patton Jr.(1885年〜1945年)
第一次世界大戦時、第二次世界大戦時のアメリカ陸軍軍人。
米陸軍における、機甲戦の最高の実践者の一人。軍人としては紛れもなく有能だが、個性の強さ、エキセントリックな言動などから、同時代から激しい毀誉褒貶の対象となった。

略歴

1885年11月11日、カリフォルニア州サンガブリエル生まれ。1910年にウェストポイント入学。1912年にストックホルム・オリンピックに出場(近代五種で5位)。
第一次世界大戦の際にはパーシング指揮下の欧州派遣軍の一員として第304戦車中隊を率いて活躍。DSCとDSMを与えられ、大佐にまで昇進。
戦後、キャンプ・ミード勤務時代に後に上官となるアイゼンハワーと知り合い友誼を結ぶ。
合衆国における戦車戦の第一人者として、1940年10月1日に第2機甲師団長に就任。
第二次世界大戦への参戦後に、北アフリカへの上陸作戦(トーチ作戦)に参加。以後、アフリカで戦い、シチリア上陸作戦にも参加。メッシーナ一番乗りを果たす。が、野戦病院を見舞った際に戦争神経症の兵士を殴打するという事件を起こしてしまい、ひとまず表舞台を去る。

1944年6月のノルマンディー上陸作戦に際しては実際の兵力を与えられず、欺瞞作戦*1用の偽の部隊司令官となる。後、新設の第三軍を率いてドイツ軍戦線を突破(コブラ作戦)、補給切れになるまで快進撃を続けて北部フランス一帯を席巻。
12月のドイツ軍の反撃(ラインの守り作戦)に際しては迅速に対応、攻勢阻止に一役買っている。
その後、ドイツ領内深くに進撃し、さらにチェコスロバキアを目標としていたが、スターリンの抗議によって果たせず、終戦を迎えている。
戦後、バイエルン地区の軍政官となっているが舌禍事件により左遷される。
1945年12月、自動車事故によりドイツで死去。ルクセンブルクの米軍墓地に葬られた。

*1:フォーティチュード作戦の一環。ノルマンディへの上陸が偽装で本命の部隊が待機していてカレーへの上陸を企てている、という設定だった

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