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ジョルジュ・シフラ

音楽

ジョルジュ・シフラ

じょるじゅしふら

György Cziffra (Georges Cziffra)*1

ピアニスト1921年11月5日ハンガリーブダペストで生まれた。父親はジプシー音楽家。フランツ・リスト音楽アカデミー出身でフェレンツィおよびドホナーニ等に師事した。

その音楽家としての道は非常に嶮しいものだった。青年期には戦争が暗い影を落とした。彼は20歳で欧州戰に従軍し、ウクライナで重傷を負った。さらに1945年の大戦末期には民主戦線に参加、再び戦場へ赴いた。

戦後しばらくは酒場のジャズピアニストとして生計をたてていたが、クラシックのレッスンは途切れることなく続けた。

1950年に妻子*2を伴つて祖国ハンガリーからの亡命を企てるが失敗に終り、その後3年間投獄された。出獄後は努力の甲斐あってハンガリー国内でも徐々にその才能は認められて行った。しかしさらなる演奏の自由をもとめた彼は、1956年ハンガリー動乱に乗じて再度亡命をはかり、今度は成功した。西欧の楽壇では彼の完璧な演奏技巧は大きな話題をよび、驚愕と喝采とともに迎えいれられた。

リストおよびショパンの演奏を得意とし、神的なしかし奇跡ではない「必然」としての完全無欠なパフォーマンスを聴かせた。1994年1月17日没。


◎参照↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%95%E3%83%A9


http://www4.osk.3web.ne.jp/~cziffra/


*1:日本語では現在「ジョルジュ・シフラ」と読まれるのが一般的だが、「ジェルギー・シフラ」と読む説もある。また、1950〜1960年代レコードでは「ジョルジ・シフラ」と表記されている例もある。

*2:同名の息子「ジョルジュ・シフラ Jr」は、のちに指揮者となった。ピアノ協奏曲での親子共演もあり、録音も残っている。1981年没。