ジョン・バカン

読書

ジョン・バカン

じょんばかん

1875〜1940、イギリス推理小説家であり、弁護士、軍人、政治家、評論家、歴史学者、実業家。スパイ小説の元祖として有名。 スコットランドの旧家に生まれ、父はカルヴァン派牧師、母は著名な政治家グラッドストーンの従妹であった。

様々な職業を経験した後、オックスフォード大学に入学。


大学卒業後はロンドンに出て弁護士となり、1901年から2年間、「南アフリカ」の行政代表・ミルナー卿の大抜擢に応じ、私設秘書を務める。この時に猛獣狩りなどを経験してアフリカの問題に関心を抱くようになったと言われている。

帰国した後に結婚。「妻の父親」は、イーベリー卿の息子であり、ウエストミンスター公爵のいとこで、ウエリント公爵の甥の息子であった。そのため、著名な縁戚を多数持つようになり、社交界にもデビュー。

アスキス首相夫妻と家族で食事をしたり、アメリカセオドア・ルーズベルト大統領と会ったりした。

また、文学界では、ミルナーやホールデン、ヒュー・ウォルポー?ルやヘンリー・ジェイムズとも交流があった。


のちに「三十九階段」「緑のマント」「三人の人質」などを発表したトマス・ネルネン出版社の重役として出版事業に携わり、また政治家として英米の相互理解を深めることに奔走。

第一次大戦が起きるとタイムズ社の戦地特派員としてフランスに赴き、更にその後イギリス情報部で指導員という重要な地位を担う。1915年には「アラビアのロレンス」として知られる、T・E・ロレンスらとともにメソポタミアに赴き、トルコ軍と交渉。彼のどの作品にもおとらない冒険をした。

その後は主に政治と実業の世界で活躍し、1927年には保守党議員として国会に進出。そして1935年カナダ総督に任ぜられ、フランクリン・ルーズベルト大統領と友好的な信頼関係を気づく。赴任5年後の1940年、現地での任務の途中に起きた事故で亡くなる。


これらの多忙な生活のかたわら、余暇に執筆活動もしていた。執筆開始当初は伝記や歴史小説などを執筆していたが、1910年代に入ると「プレスター・ジョン(黒人王の首かざり)」をはじめとする数冊の冒険小説を書き上げ、好評を得る。

1915年に発表されたリチャード・ハネイを主人公とする長編小説「三十九階段」は、国際的・政治的陰謀に巻き込まれた主人公の活躍を描いて大評判となり、1935年に、イギリス在住時代のアルフレッド・ヒッチコック監督により、「三十九夜」のタイトルで映画化された。(のち、1959年にラルフ・トーマス?監督によって「三十九階段」としてリメイクされている)

サマセット・モームの「秘密諜報部員(アシェンデン)」とともに、この作品が後のスパイ小説の原型を形作ったといわれている。