スコット・パーカー

スポーツ

スコット・パーカー

すこっとぱーかー

Scott Parker

イングランド人のサッカー選手。現在はトッテナム・ホットスパーFCに所属。


プレイスタイル

  • 男気溢れるプレイが特徴。「常に持てる力の100%以上を試合に捧げる男」というのが、現地メディアおよびファンがパーカーを語る際の決まり文句である。また、当たりの激しいプレミアリーグを象徴する、典型的なイングランドスタイルのMFであり、年間タックル数では必ず上位へランキングされるハードタックラーとしても知られる。ただし、技術と経験に裏付けられたタックルを武器としており、ダーティーな印象で語られることはまずない。むしろ、蹴りだしたボールに顔面から突っ込みブロックするなど、からだを張ったハードな試合ぶりが真骨頂である。
  • ハードなタックルの印象で語られることが多いが、一方ではボール奪取の巧さにあらわれるような、足元の柔らかさも備えている。

キャリア

  • アラン・カービシュリー率いるチャールトン・アスレティックFCにてプロキャリアをスタート。最初は攻撃的MFとして台頭したパーカーだったが、2002-03シーズン頃からは、BOX-TO-BOX型の万能型MFとして才能を開花。当時パトリック・ヴィエラアーセナルFC)にも例えられた中盤での運動量と身体の強さを誇り、翌2003-04シーズンには絶対的な”核”としてチームに貢献。地力でも資金面でも中堅以下の弱小クラブであるチャールトンをリーグ4位(パーカー移籍直前まで…2003年年末時点)へ押し上げる活躍をみせ、一躍その名をイングランド中にとどろかせた。
  • 翌2004-05シーズンになり、ジョゼ・モウリーニョチェルシーの監督へ就任。彼はラニエリとは違い、パーカーを「クロード・マケレレのバックアッパー」と位置づけ、マケレレの怪我がなければ起用しない方針を明確にした。このシーズン、パーカーは自身の起用についてモウリーニョに何度か直談判を行っており、移籍後には「モウリーニョは僕が本当はどういうプレイスタイルの選手なのか知らないのではないか。それに練習でどんなに努力をしてもバックアッパーどまりでしかないのなら、クラブでの将来はない(それで移籍をした)」とも語っている。
  • 2005-06シーズンの活躍を経て、翌2006-07シーズンにはアラン・シアラー引退後のキャプテンへ指名された。その2年目のシーズンは、チャールトン時代の出来を高く評価するグレン・ローダー監督によって、オールマイティなMFとしての役割を期待された。しかし、実際にはシーズンを経るにしたがって守備のフォローに回ることも多く(そのためか、2006-07シーズンのタックル数はプレミア1位を記録している)、前線の攻撃陣とのかみ合いも今ひとつのままに終わった。さらに主力の怪我人続出なども影響し、チームは下位に低迷。その責任の一端を一部サポーターに糾弾され、辛いシーズンオフを迎えた。
  • 2007-08シーズンは、彼を世に出した指揮官とのリユニオンがどうプレイスタイルに影響するのか注目されたが、プレシーズンに痛めた膝の靭帯の回復が遅れ、シーズン序盤は長く試合を離れた。しかし、11月下旬に戦線へ本格的に復帰するやいなや、タックルを始めとした守備面はもちろん、中盤からの組み立てや前線への飛び出しなど、攻撃面においてもアグレッシヴな試合を展開。リーグ出場6試合目の対ミドルズブラ戦(アウェー/2007年12月22日)では、90分に味方からの縦パスをトラップ→ディフェンダーを3人交わしシュートという個人技で逆転ゴールを挙げ、移籍後初得点を劇的な幕切れで飾った。この試合後、カービシュリーは、「パーカーには(守備に対する責任を負っていた)ニューカッスル時代より、攻撃的に行くようにと話してきた」と発言。攻守万能なMFだったチャールトン時代のパーカーの復活を、指揮官の方針としても抱いていることが明らかとなった。しかしながら、このシーズンはその後もまた試合中に膝を痛め、長く戦列を離れ、シーズンを通じて本領を発揮するには至らなかった。
  • 翌2008-09シーズンは、開幕からチーム不動の主力として活躍。パーカーはこの2008-09シーズン、三たび輝きを取り戻す。シーズン途中にフロントとの不和からカービシュリーが退任し、さらにはスポンサーの破産やクラブの経営状態が危惧されるといった不安定な環境に苛まされたが、新指揮官ジャンフランコ・ゾラのもと、中盤の核としてチームの躍進に貢献した。特に、シーズン後半にはアンカーマンとしてのみならず、チャールトン時代を髣髴とさせるBOX-TO-BOX型のプレイを披露。プレミアリーグにおける「タックル数ベスト5」と「パス数ベスト5」へ同時にランクインするなど、まさに攻守の中心を担い、常にピッチ上を駆け回る運動量の多さとチームメートを鼓舞する試合ぶりで、サポーターの熱い支持を得た。一方ではゾラの信頼も厚く、シーズン途中の2009年2月には、2013年シーズン終了までという、厚遇の長期契約延長を結んだ。また、このシーズンは、FA杯4回戦の最優秀選手(対ハートリプール・ユナイテッドFC戦)にも選ばれている。

トリビア

  • 子供時代(13歳頃)、McDonaldsのW杯(94年アメリカ大会)協賛CMに出演、ボールジャグリングを披露。そのヴィジュアルを広く知られるところとなる。ちなみに、役名は「Jimmy」。

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  • 2004 PFA Young Player of the Year 受賞。これは2003-04シーズン上半期までのチャールトンにおける活躍が高く評価された結果だが、受賞そのものはチェルシー移籍後となった。
  • 私生活では若い頃から「年寄りじみている」とチームメートに揶揄される落ち着きぶり。ゴシップとも無縁。所帯を持ったのは早く、すでに三児の父である。奥様は15歳の時から交際していたというカーリィさん。2003年春に長男フランキー、2005年秋に次男マーフィー、2007年春に三男ソニーが誕生。ちなみに長男チャールトン時代、次男はチェルシー時代、三男はニューカッスル時代に授かっている。
  • アンダー代表時代からの盟友でもある、同じ年のジョン・テリーとはとても仲がよいことで知られる。チェルシー時代はロッカーも隣同士で、家もすぐ近所。当時一緒に出歩いている姿がカービシュリーメディア記者などにも目撃されている。パーカーがチェルシーを離れてからも、奥様同士も含めた家族ぐるみの付き合いがあるという。
  • 2007年にチャールトンとプロ契約を果たしたハリー・アーター(1989年生まれ)は義理の弟。

ニューカッスル1年目(2005-06シーズン)のスコット・パーカー

  • 状況やコンビを組む相手に応じ、時にはアンカーマンとして、また時にはゲームメイカーとして、求められた役割を豊富な運動量でこなし、ニューカッスルの中盤へ貢献。また、目の前の試合へ心技体の120%を捧げる、といわんばかりの姿勢を貫き、移籍1年目にして、熱い男たちが揃うといわれるニューカッスルサポーターの心を大きく掴んだ。
  • 「ボールを追いトップスピードでキーパーと衝突、前歯を損傷→しかし出場を強行→ボールの奪い合いから今度は頭部を強打、ピッチ上へ倒れ込み動けず退場」、という試合ぶりのアーセナル戦(ホーム/2005年12月11日)はその集約といえるもので、語り草となっている。
  • また、シーズン終盤には伝染性単核球症(Glandular Fever)を発症していたにもかかわらず、黙って1ヶ月ほど試合へ出場を続けており、その根性とハートの熱さをおおいに知らしめるところとなった。この伝染性単核球症(Glandular Fever)の発症については、本人は体調の不良を訴えなかったが、彼にとって初の古巣凱旋試合となったチャールトン戦(アウェー)の試合後に、尋常でない疲れ方をしていた姿を見たローダー代行監督が血液検査を受けさせた結果、ウィルス感染が判明した。ちなみに、このチャールトン戦でパーカーは、彼への大きなブーイングを一瞬で沈黙させた30ヤードのロングシュートを決めている。