ズボニミール・ボバン

スポーツ

ズボニミール・ボバン

ずぼにみーるぼばん

1968年10月8日生まれ。1990年代にACミランなどで活躍した、クロアチアのサッカー選手。ポジションはトップ下、ボランチクロアチア代表では精神的支柱であり、1998年のフランスワールドカップ3位の原動力となった。

クラブでのキャリア

クロアチアのイモツキに生まれ、ボバンはキャリアをディナモザグレブでスタートさせた。

有名なレッドスターベオグラードとの試合で、ファン同士の間で起こった暴動の中、彼は、ディナモサポーターを叩いた警官に飛び掛った。この出来事は、ボバンクロアチアの国民的英雄にした。

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セリエA

ACミラン1991年に彼と契約を結び、すぐに彼をASバリにローンした。

1シーズン後に、彼はACミランに呼び戻され、9シーズン、ACミランでプレーし、大きな成功を収めた。

彼は、1994年チャンピオンズリーグ優勝と1995年の2位に貢献した。キャリア最後のシーズンには、スペインセルタ・デ・ビーゴにローンされ、4試合出場しただけで、2002年に引退した。

ナショナルチーム

ボバンは、1987年ワールドユース選手権でユーゴスラビアの優勝に大きく貢献した。1988年〜1991年に掛けて、ユーゴスラビア代表として、国際Aマッチ8試合に出場した。ユーゴスラビア代表として最後の試合となった、1991年フェロー諸島戦で、ゴールを挙げた。

クロアチアが独立を宣言すると、ボバンユーゴスラビア代表チームを去り、クロアチア代表チームでプレーした。彼のクロアチア代表での最初の試合は、1990年ルーマニアとの親善試合であり、ラストゲームは1999年のフランスとの親善試合であった。彼のクロアチア代表でのキャリアは、国際Aマッチ51試合出場、12ゴールである。

1998年ワールドカップ

ボバンは1998年WorldCupで3位となったチームのメンバーで、1996年ヨーロッパ選手権と同様にキャプテンを務めた。ワールドカップ準決勝で、クロアチアが何とか先制した直後に、彼が犯したミスで、フランスに同点を許してしまった。結局、フランスに1-2で敗れたが、その後、クロアチア3位決定戦オランダを破り、銅メダルを手にしている。

引退後

選手引退後、ザグレブ大学で、歴史の学位を取り、スポーツジャーナリズムでのキャリアをスタートさせた。

TV局やイタリアなどの有名スポーツ紙でコラムニストとして活躍している。

名声(Reputation)

ユーゴスラビア警官を蹴った事件のあと、クロアチアで、ボバンは非常に愛されている。彼は、愛国心の強さで多くの人に知られ、彼は何よりもクロアチアを愛し、クロアチアのために死ねるとも言っている。また彼は、ユーゴスラビアのためにも、クロアチアのためにも正々堂々と戦っていたと言い、クロアチア国歌を聴くことはいつも彼の夢であると。ボバンへの尊敬の念は、戦中戦後から非常に高まり、今に至っている。