「Sony Techno」略して「ソニテク」。
日本のテクノシーンの創成期を語る上で避けては通れないプロジェクト。
1994年、日本にもようやくテクノシーンが出来つつある頃、天下のメジャーレーベルSony Musicが、何をトチ狂ったかヨーロッパのインディーテクノレーベルの音源を大量にライセンスし日本盤としてリリースしまくるという事件がおきた。
R&S、WARP、Rising Highの当時三大レーベルと呼ばれたレーベルから、どう考えても売れそうにないRephlexまで、日本ではまだまだ入手が困難であったさまざまなテクノ音源をリリース(しかも安価で)、日本のテクノシーンの確立に大いに貢献を果たした。
電気グルーヴ選曲のコンピレーションシリーズ(ASIN:B00005N0NB)と、田中フミヤのMixCD(ASIN:B0000567M0)は、95年に創刊された世界初のテクノ専門雑誌「ele-king」と共に、当時のテクノリスナーのバイブル的存在であった。
当時のテクノシーンの大きさを考えるに、電気グルーヴやKen Ishiiを別とすれば売り上げ自体にははなはだ疑問の残るところであるが、テクノを普及させたいソニテクは、95年のキャンペーン時には3ヶ月で30タイトルをリリースするという、暴挙としか考えられない行動に出た。
さらに暴走は続き、東京ローカルのMXTVにてSony Techno一社提供のテクノ番組をスタート。クラブでのテクノDJのプレイを、固定カメラ(映っているのはDJでも客でもなくターンテーブル&ミキサー)で1時間垂れ流すといった、地上波にあるまじき展開を見せた。
90年代半ばを過ぎるころにはテクノシーンも細分化・大衆化を迎えを迎え、「ここにテクノが自由でありつづけるために、ソニーテクノは終了します」との声明と共に、2000年にソニテクは終了する。
なお、有志によってウェブサイト「ソニテク2」「ST2」が運営されていたが、現在は両者とも活動を休止している。