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ソロモン海戦

(一般)
そろもんかいせん

ソロモン海というかガダルカナル周辺で行われた海戦。
第一次から第三次まである。

第一次ソロモン海戦

1942年8月8日。
米軍の反撃の第一弾、ガダルカナル島上陸(8月7日)の直後に行われた海戦。日本側が重巡洋艦中心の三川艦隊(第八艦隊)を送り込んで発生。
連合軍側は日本側の夜襲に後れを取り、短時間で巡洋艦4隻を失う大損害を受ける。
が、日本側は本来の攻撃目標のはずの輸送船団を攻撃せずに引き上げたため、以後のガダルカナル島を巡る戦闘が泥沼化する一因となった。

第二次ソロモン海戦

1942年8月24日
ミッドウェイ後の最初の日米の空母機動部隊の戦い。
米軍はガダルカナル島のヘンダーソン飛行場を早期に稼働させ、本来の兵站能力の高さと相まって地上戦闘を有利に運んでいた。日本側はこれに対抗するために輸送船団を送り込もうとした。
飛行場がすでに稼働している以上、エアカバーは必要不可欠であり、日本側空母を含む艦隊(第二水雷戦隊を含む第二艦隊と、南雲中将指揮の第三艦隊)を送り込む。アメリカ側も同様に空母を含む艦隊を送り込んだ。
先手を取ったのはアメリカ側だった。8月23日に日本側の艦隊を米哨戒機が発見、これによって日本側は輸送船団を退避させる。アメリカ側は空母からの攻撃隊で軽空母龍驤を撃沈。日本側は瑞鶴と翔鶴から出した攻撃隊で米空母に損害を与えて退避させることに成功したが、輸送船団の揚陸には失敗している。

その後、8月31日に米空母サラトガが潜水艦によって中波、9月15日には同じくワスプが潜水艦の雷撃が原因で沈没している。


第三次ソロモン海戦

1942年11月12日〜11月14日
日本側は大規模な輸送船団を組織してガダルカナル島へと送り込もうとした。その支援のため、ヘンダーソン飛行場を戦艦による砲撃で破壊しようとした。
戦艦比叡と霧島を含む砲撃部隊は11月12日の夜に突入するも、警戒中の連合軍の重巡艦隊と遭遇。夜戦となる。飛行場砲撃のために徹甲弾を装填していなかった日本艦隊だったが、逆に目標となった艦の上部構造物(艦橋含む)に大きな損害を与え、米艦隊指揮官のキャラガンと次席指揮官のスコットは共に戦死している。
日本側は巡洋艦2隻と駆逐艦4を撃沈し他の艦にも損害を与えたが、肝心の飛行場砲撃は失敗。また、戦艦比叡は損傷で航行が困難となり、翌日の航空攻撃によって放棄された。(第一ラウンド)
11月13日に間隙を縫って日本側の巡洋艦艦隊がヘンダーソン飛行場を砲撃したが、戦艦砲との威力の差は大きく、米側は早期復旧に成功している。
のみならず砲撃部隊を航空攻撃して重巡衣笠を撃沈。さらに日本側輸送船団も大損害を受け、11隻中7隻を喪失。
11月14日、戦艦霧島を含む日本艦隊はガダルカナル島に接近。一方アメリカ側は新鋭戦艦のサウスダコタとワシントンの2隻を基幹とする艦隊を送り込んでいた。率いるのは米海軍きっての射撃の権威、リー提督。
夜間戦闘は日本側がサウスダコタ*1を一方的に叩くが、見落としていたワシントンのレーダー射撃によって戦艦霧島を失っている。当然、飛行場砲撃も不可能となった。
翌15日、日本側輸送船団残余はガダルカナル島に擱坐上陸。人員を送り込むことに成功したが、物資についてはほとんど揚陸できず、夜明け後の航空攻撃で輸送船は破壊された。以後、日本側は駆逐艦などを用いた夜間輸送のみに頼ることとなる。

*1:電源が落ちて大型砲が稼働できなくなると言う謎展開発生

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