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ツァベル

エリック・ツァベル Erik Zabel 1970年7月7日生

プロロードレーサーTモバイル所属のスプリンター。昔はエリック・ザベルと表記されることが多かったようだが、ドイツ語ではツァベルと発音する。UCIランキングで常に上位を獲得している、「ドイツの帝王」。今ももちろん現役。

ツール・ド・フランスのマイヨ・ベール獲得について

ツール・ド・フランスでは、1996年〜2001年まで、前人未踏のポイント賞ジャージ、マイヨ・ベール6連覇を成し遂げている。ただし、ステージ優勝は極端に少なく、6年間に9回のみ。ステージを勝ってポイントを一気に稼ぐタイプではない。

2002年のツール・ド・フランスでは、チームメイトで総合上位を争うエース、ヤン・ウルリッヒが欠場し、下一桁が1のゼッケンをつけエースとして走る。今まで、ウルリッヒツァベル、いわばダブル・エース状態であったドイツテレコム(当時)だが、その年はファニーニやドイツチャンピオンのホンドといったスプリンターツァベルをアシスト、ゴール前で“テレコム・トレイン”を形成するも、結局マイヨ・ベール獲得ならず。多くのスプリンターが出てきたオーストラリア勢の一人、ロビー・マキュワンマイヨ・ベールを明け渡してしまう。更に、続く2003年は、ウルリッヒは別のチームに移籍し、チーム方針の決定しないまま出場したツールだったが、チームメイトのカザフスタン人、アレクサンドロ・ヴィノクロフが大活躍。総合三位に入るも、自身はバーデン・クック(216pts)とマキュワン(214pts)のポイント争いに絡めず三位(188pts)。最終日にマイヨ・ベールを獲得したクックもオーストラリア人。

2004年、ツール・ド・フランスでは、Tモバイルウルリッヒがカムバックし、ヴィノクロフは残念ながら欠場するも、2001年以前と同じ体制に戻ったともいえる環境でマイヨ・ベール奪還に挑んだ。今年の山岳の厳しいコース、スプリンターには珍しく山を登りきることが出来るツァベルにはある意味有利のコースと思われた。というのもマイヨ・ヴェール争い一番手のロビー・マキュワンは山が大の苦手。実際、ツァベルは「マラソン・コース」といわれた最長のコースで3位に入り、マキュワンに迫った。だが、結局パリまでもつれ込んだ戦いは、マキュワンシャンゼリゼで優勝したトム・ボーネンをしっかりマークし好位置でゴール。ツァベルハスホフトに続いてポイント賞3位だった。しかも、アテネオリンピックでは4位という不運。しかしまだヴェルタがある!