日本サッカーにとって最も痛烈な悪夢、ドーハの悲劇。このドーハの悲劇が起こったのは、忘れもしない1993年の9月のこと。 僕はちっちゃなブラウン管の15インチくらいのテレビ、モノラルのものを使って、サッカー中継を見ていました。ロスタイムに入って、日本のサッカー関係者が握手を交わし、地元のメディアが動き始めた頃のこと。 僕の記憶が確かなら、10番(エース)のラモスは確か、カメラに向かってガッツポーズをしたはずです。会心の勝利による、ワールドカップが迫っていました。 ゴールが決まった瞬間、何かの芝居のように思えました。あまりに周りがうまくいきすぎていたからですよ。実は、フランスもあの1994年アメリ…