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デヴィッド・シルヴィアン

音楽

デヴィッド・シルヴィアン

でびっどしるびあん

1958年2月23日、イギリス・ケント州ベッケンハムに生まれる。本名はDavid Batt。後にDavid Sylvianと名乗るようになる。

'76年にミック・カーン、リチャード・バルビエリ?、そして実弟のスティーブ・ジャンセン?らとジャパンを結成。'78年にはロブ・ディーンを加えた五人編成でドイツに本拠地を置くアリオラ・ハンザレコードよりアルバム「果てしなき反抗」でデビュー。ブロンドに長髪、派手な衣装とメイクで外見を完全にイメージ武装した彼らが奏でる、内向的な自分たちの憂鬱と逃避願望をこめた、パンク/グラム/ブラックミュージックが渾然一体となったような音楽は当時のイギリスのロック・シーンからは黙殺されるが、そのバンド名も手伝ってか、日本では一大ブレイクを巻き起こす。同年内に立て続けに2作目「苦悩の旋律」を発表。その後、'79年にはアルバム「クワイエット・ライフ」では髪を切って行き詰まった外見的なイメージを払拭し、エレクトリック・サウンドを取り入れて音楽的にも人間的にも大きな変貌を遂げる。'80年の次作「孤独な影」を経て(この頃より日本のYMOのメンバーなどとの親交がはじまる)、'81年にはテクノの歴史的傑作「錻力の太鼓」を発表。商業的にも成功の道を歩みはじめるが、残念ながら'82年12月、土屋昌巳ギタリストとして参加した世界ツアー終了後に「メンバーの音楽性の相違」を理由に、その短いバンド生命にピリオドを打つ。

なお、ジャパン在籍中の'81年、坂本龍一とのコラボレーション第一弾である「バンブー・ハウス/バンブー・ミュージック」が発売されている。このシングルにはスティーブも参加した。

2年間の沈黙の後、デヴィッドはソロとしてのキャリアをスタートさせる。'83年には、映画「戦場のメリークリスマス」のサントラのレコーディングだった坂本龍一と、同映画のメインテーマのボーカルバージョン「禁じられた色彩」を、坂本龍一デヴィッド・シルヴィアンの名義で発表。'84年にはかつてのバンドメンバーであったスティーブ、リチャード、そして坂本龍一、ジョン・ハッセル、ホルガー・チューカイ(exカン)などの協力のもと、デビュー作「ブリリアント・トゥリーズ」を発表する。この作品では、ジャパン後期でも見られた、自己の内面性と苦悩についてをさらに深く掘り下げ文学的にもより優れたものとなったユニークな表現技術のもとに語られる私小説・日記的な詩の質的向上と、ジャジーでアコースティックな感覚の加わったより実験性の高い新たな音楽的境地が感じられる。

以後、デヴィッドはポップス/ロック・シーンのメインストリームからは一歩離れたスタンスで音楽活動を続けながらも、ヴィデオ作品、写真集といったアート領域でも活動。インストゥルメンタル・アルバム「錬金術」('85年)、ロバート・フリップの参加した2枚組「ゴーン・トゥ・アース」('86年)、そして最も完成度が高いと評されるヴォーカル・アルバム「シークレッツ・オブ・ザ・ビーハイブ」('87年)とコンスタントにアルバムを発表。'88年には大規模なワールド・ツアーも敢行する。

その後、元カンのホルガー・チューカイと即興レコーディングによる実験作「プライト&プレモニション」('88年)、「フラックス&ミュータビリティ」('88年)の2作を発表。'90年にはアルバム・デザインやツアーの舞台デザインを手がけたアーティスト、ラッセル・ミルズとのコラボレーション「Ember Glance」を東京のウォーター・フロントで行い('91年に会場の様子等を収めた同名のブックレット/CDのボックスをリリース)。そして'91年には元ジャパンのメンバーを再び集めてプロジェクト・アルバムを制作。メンバーの即興性を重視するという実験的な手法をとりながらも、かつてのジャパンの面影をわずかながらも感じさせる、ポップとアンチ・ポップが奇妙なバランスで同居する傑作「レイン・トゥリー・クロウ」を発表する。

'92年には「ゴーン・トゥ・アース」でも競演したキング・クリムゾンロバート・フリップと「シルヴィアン&フリップ」を結成、来日公演を果たす。また、この年に女優イングリッド・シャベズ?と結婚、アメリカミネアポリスに移住する。'93年にはシルヴィアン&フリップのアルバム「ザ・ファースト・デイ」を発表、ワールド・ツアーも行った。

ワールド・ツアー終了後は、久々のソロ・アルバムの制作に入る。'95年には単身来日、アコースティック・ソロ・ライブツアー「Slow Fire~a personal retrospectives」を行い、新曲も数曲披露。'96年にはアレシーニ&アンドレオーニのコンセプト・アルバム「マルコ・ポーロ」にボーカリストとして参加。後、妻イングリッドとの共作による20枚だけプレスされたプライベートアルバム「Little girls with 99 lives」を制作する(本作の収録曲の一部が、後述のシングル「I Surrender」にカップリングされている)。そして、'99年3月には待望の新作「Dead Bees on a Cake」を発表。シングル「I Surrender」もリリースされた。さらに、2000年にはソロ集大成とも言えるコンピレーションアルバム「Everything and Nothing」を発表。2001年10月には米国テロに負けず来日、東京大阪名古屋――にてコンサートを行う。2002年にはインストゥルメンタルの2枚組コンピレーション「Camphor」をリリースした。

そして2003年春、弟のスティーブとともに、新レーベル「samadhisounds」を設立。待望のニューアルバム「Blemish」はこのレーベルから通販限定される。


現在はイングリッド、彼女との間に生まれた二人の女の子、そしてイングリッドの連れ子の男の子とともに、アメリカに在住。育児をしつつ音楽活動を続けている様子だ。

David Sylvian